求究道(ぐきゅうどう)のプロ野球講義

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王貞治

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監督学 小久保裕紀編

今回は,「監督学」シリーズを書いてみます。

第45弾は,2024年シーズンから福岡ソフトバンクホークスの監督を務める小久保裕紀です。

それでは,最後までよろしくお願い致します。


まずは,小久保の簡単なプロフィールから書いてみます。

1971年10月8日,和歌山市で生まれました。

県立星林高校から青山学院大学を経て,1992年バルセロナ五輪に大学生で唯一選ばれるのです。

1993年ドラフト2位で,福岡ダイエーホークスを逆指名して入団します。

1年目から一軍出場し,78試合で6本塁打を放ちます。

2年目の95年は130全試合出場し,28本塁打で本塁打王に輝くのです。

セカンドでベストナイン,ゴールデングラブ賞も受賞し,「若きホームラン王」として名をはせるようになります。

97年も135全試合出場し,114打点で打点王に輝きます。

初めて打率3割もクリアします。

しかしオフにプロ野球脱税事件に関与したことが発覚し,故障もあり98年は17試合の出場に終わります。

99年に4番打者として返り咲き,ホークスの福岡移転初の優勝・日本一に貢献します。

2000年も31本塁打と105打点を記録し,パ・リーグ連覇に欠かせない存在になったのです。

01年は自己最高の44本塁打と123打点を記録し,名実ともにパ・リーグの顔になってきました。

ところが03年,オープン戦で全治6か月の重傷を負い,1試合も出場できずに終わりました。

すると優勝パレードの翌日,読売ジャイアンツへの無償トレードが発表されました。

巨人で迎えた04年,41本塁打を放ち,巨人の右打者で初の40本塁打超えを達成しました。

打率も.314と自己最高を記録し,第69代巨人軍4番にもなったのです。

カムバック賞も受賞しました。

05年は34本塁打を放ったものの,06年は故障もあり19本塁打に終わりました。

オフにFA宣言を行使し,福岡ソフトバンクホークスに復帰したのです。

ホークスの主力として活躍を続けて,2010年にはパ・リーグ優勝を果たしました。

11年は優勝・日本一になり,40歳1か月で日本シリーズMVPになったのです。

この年に,通算400本塁打も達成しました。

12年に通算2000本安打を達成し,オフに現役引退を表明しました。

引退後は解説者や評論家を務め,13年オフに侍ジャパンの監督に就任しました。

侍ジャパンが常設化させて,初代監督になったのです。

15年の第1回プレミア12では3位,17年WBCでは準決勝敗退という成績でした。

WBCの終了と共に,侍ジャパンの監督を退任します。

21年からホークスの一軍ヘッドとして,9年ぶりの復帰を果たします。

22年からは二軍監督を2年間務めます。

そして24年シーズンから,ホークスの一軍監督に就任します。


以上,小久保の簡単なプロフィールでした。


それでは,小久保の現役・コーチ時代に仕えていた監督を見てみます。

こちらの図表をご覧ください。
小久保1

一番長く使えていた監督は,やはり王貞治です。

他にも原辰徳や秋山幸二といった,優勝経験監督の下でもプレーしていました。

それなりの「教材」はできていると想像できます。

それでは小久保が仕えた監督にどのような思いを持っているのか書いてみます。

・根本陸夫

 小久保がホークスに入団した時の監督が根本です。根本は監督であると同時に,球団専務と実質上ゼネラルマネージャー(GM)を務めていたのです。根本は監督を2年間務めながら編成をして,後任に采配を託したのです。
 そんな根本はコーチに「小久保は大きく育てるから,あまり指導するな」と指示していたと,後に小久保は聞いたのです。育てたいのなら指導は欠かせないと思うのが普通なのに,根本は全く違う発想を持っていたのです。
 根本がそのように語った理由は分かりません。ただ,小久保の打球を大きく飛ばす天性を見たからだけではないと私は想像しています。大学の頃から自主性を育まれていると見たのか,もう歓声に近い選手と見ていたのか…そうしたところも見ていたから,根本は1年目だけど小久保の指導方針を決めいていたのかもしれないのです。
 小久保の根元に対する印象は,「何事にも動じない,腹のすわった人」です。一度決めたことに対してどっしり構えて,責任を取るという姿勢。それは小久保も見習うのではないでしょうか?

・王貞治

 その根本から監督を受け継いだのが王貞治です。言わずと知れた「世界のホームラン王」,巨人監督としても優勝の経験があります。その実績を見込み,根本が口説き落としたのです。
 そんな王と小久保が初めて会ったのは,94年オフの事です。名球会のイベントで王がハワイを訪れた時,小久保はウィンターリーグでハワイにいたのです。そのウィンターリーグの試合で,小久保は決勝ホームランを打ちました。それを王が見ていたのです。
 王は祝福のためにグラウンドまで降りると,小久保はものすごい目力に圧倒されます。そして王は,「おめでとう。見事なホームランだった。来年からともにがんばろう。期待しているぞ」と声をかけたのです。
 小久保は胸が躍り,心の中で舞い上がっていたとのことです。来季に向けた自分自身への期待を込めて,王と固い握手を交わしたと語るのです。
 そんな王を小久保は「私の師」と語ります。王監督を間近で見て,小久保は著書で学んだことを多く書いています。間違いなく,監督を務める上での一番の「教材」にすると思います。
 王政権1年目,小久保にとって2年目にホームラン王になりました。王からは「とにかく練習では楽をするな,強く振れ」と徹底的に指示されました。今日より明日,明日より明後日,一ミリでもボールを遠くに飛ばせるように。小久保はどんどんボールを遠くに飛ばすことに拘り始めるのです。
 王政権2年目,前年の5位からこの年は序盤から最下位になっていました。そして5月の近鉄戦後,怒ったファンがバスに生卵をぶつける「生卵事件」が起こったのです。「やる気がねえなら,やめちまえ」と合唱が起こるくらい,ファンは我慢できなかったのです。
 これに対して王はホテルで,「こんな成績じゃあ,ファンが起こるのも無理はない。怒ってくれるファンは本物だ。怒るのは期待の裏返しでもあるんだ。彼らを喜ばせるために前を向いてやるしかないんだ」と語りました。
 小久保はこの件で,『一番悔しいはずの監督の言葉に,「男から言い訳しない」という潔さを学びました』と語っています。同時に「必ず強いチームになってやる,見返してやると心に誓ったのです。
 それからホークスは着実に強くなり,王政権5年目の99年にパ・リーグ優勝・日本一になったのです。屈辱に耐えながら,王の信念が花開いたのです。小久保も4番打者として,優勝に大きく貢献したのです。
 翌2000年も優勝し,連覇を果たしました,この年の大阪ドームでの最終戦後,ファンに挨拶に行こうとします。しかし,かつて生卵をぶつけてきたのは,大阪のファンです。選手会長の小久保は王に,「あんなことをした大阪のファンにあいさつにいくのはやめましょう」と提案しました。
 すると王は,「小久保,こういうのはきっちりあいさつに行くもんだよ。さあ行くぞ」と言って,先に歩いたのです。その姿を見て小久保は,「でかい。なんて器の大きい人なんだろう」と,自分の器の小ささが恥ずかしくなったのです。これ以来,小久保の心の中にあった大阪のファンに対する変な気持ちは消えたとのことです。
 王は生卵をぶつけられても,大阪のファンを根に持ってなかったのです。「我々はそうするファンに怒るのではなく,拍手をもらえるようにするんだ」と,プロとしてやるべきことに徹したのです。小久保も王の姿勢から,そう学んだと思うのです。
 そんな王に小久保が叱られたことがあります。大阪ドームの監督室に呼ばれ,スポーツ新聞を広げて,小久保のコメントを指しました。大声で怒鳴りました。
 「ばかやろう。こんな発言をしたら,ファンはお前から夢を買えないだろう!」
 前日の試合で,小久保は守備でサードライナーを弾きました。試合後,新聞記者の質問に対して「俺の守備は所詮こんなもん。どうにでも書いてください」と投げやりな答えをして,そのまま記事になったのです。
 振り返ると,小久保は未熟な自分に恥ずかしくなると語ります。叱った時の王の目は怖く,殴られるかと思うくらいの雰囲気でした。王の叱りの後,小久保はこのような発言をしなくなったと語るのです。
 どんなに打てない時も,エラーをした時でも,取材に対して真摯に受け答えをするようになったのです。また,「ファンに夢を与える」と口にするようになり,小久保は考え方を見直したのです。
 2003年オフに巨人へ移籍する時,小久保は王に報告しました。王は突然のことで驚きながらも,「もう,決まったことなら前に進むしかない。ジャイアンツはよい意味でも悪い意味でも注目されるから大変な球団だ。膝のこともあるけど,とにかく結果を残せるように頑張れ」と声をかけたのです。
 小久保が06年オフにFA宣言を行使してホークスに復帰したのも,王を思ってのことです。交渉の席に,手術から自宅療養中の王も来たのです。そして,「また同じユニフォームを着てやらないか」と語り,小久保は復帰を決めたのです。
 引退後の13年,小久保は侍ジャパンの監督就任を要請されました。この時も王に相談し,王は言いました。
 「いいか,小久保。お前はまだ若い。たとえ,ここで失敗したとしてもそれでお前の人生は終わりにはならない。失敗を恐れずに挑戦してみればいいじゃないか」
 この言葉で,小久保は覚悟を決めて就任要請を受け入れたのです。これまでの自分の生き方,信念を振り返っても,ここで断るべきではないし,チャレンジすべきだと判断したのです。
 以上のように,小久保にとって王は要所で指針となるくらいの存在になっていたのです。「王貞治さんとの出会いがなければ今の私はありません」と語るくらいです。王から学んだことは,これら以外にも多くあるのです。このようにして「王イズム」を継承し,そこから作った「小久保哲学」の大きなヒントになったと私は思うのです。
 小久保が監督を務めて,何か迷う時があれば「王さんならどうするかな」と想像するのかもしれません。あるいは,現球団会長の王に直接相談するでしょうか?
 なお,王について詳しくは以下のリンクをクリックしてご覧ください。

・堀内恒夫

 小久保が巨人に来たときの監督が堀内です。03年のOP戦で大けがをして,小久保はシーズン中全く試合に出られなかったのです。復帰試合は新天地で迎えることになったのです。
 堀内は小久保の起用法に対して気を遣い,痛みがなくても,6連戦の週の1日は休養日にしていたのです。試合のない月曜日と共に休養できたことで,小久保は助かったと語るのです。04年は41本塁打を放ち,巨人で初めて右打者の40本塁打が誕生したのです。
 小久保はホークスから来た外様ということもあり,最初は遠慮していました。しかしある試合後,堀内に食事に誘われました。その席で堀内は,「お前がもっと前面に出て引っ張ってもいいんじゃないか」と語ったのです。これで小久保は外様意識を排除する必要が感じ,積極的に引っ張る方へと変わったのです。
 堀内政権2年目の終盤,小久保は堀内に呼ばれて「2年間ありがとう」と言われました。この年の成績不振を理由に,堀内は監督辞任を決めたのです。小久保は配慮してもらった感謝の気持ちでいっぱいと語ります。一方で,堀内の退任に対しては申し訳なさで胸を締め付けられたと語るのです。
 堀内の監督業については,2年で巨人を優勝できなかったという点でいい言葉をあまり聞きません。しかし,それでも小久保は配慮した恩などを含めて,巨人で優勝しようと挑んだのです。やり残したこととして,巨人を優勝させられなかったことを挙げるくらいなのです。

・原辰徳

 堀内の後を継ぎ,2度目の監督就任となった原。原が監督に就任し,小久保に電話が来たのです。「来季からよろしく頼む。遠慮なくキャプテンとして引っ張ってくれ」と言いました。解説者時代と同様に,とても歯切れのよい,聞き取りやすい声だと語るのです。とてもさわやかな印象を受けたのです。
 06年キャンプインし,原はミーティングで語ります。「一.ジャイアンツの重みを背負うこと,二.ジャイアンツのユニフォームに誇りを持つこと,三.チームがひとつになること」。
 そして,この年からキャプテンに就任した小久保も語ります。「我々は昨年五位のチームです。五位のチームが優勝を目指すには,相当な覚悟と決意を持って取り組むことが必要です。今の気持ちを一年間持ち続けましょう」。原と共に,小久保も意識改革に取り組んでいたのです。
 原の下でプレーしたのは1年で,しかもリハビリのため満足に出場できないまま終わったのです。この年,王が胃の手術をし,小久保はリハビリをしながら王に対する思いやホークス復帰に対しての考えが少しずつ芽生えてきたと語るのです。
 ただし,小久保は最初からホークス復帰を考えていたのではありません。巨人に来たときは,生涯ジャイアンツという考えを持っていたのです。もしも06年も一軍で先頭に立って引っ張ってプレーしていたら,復帰の考えは浮かんでこなかったと思うと語るのです。王の手術のニュースに触れたのがリハビリ中ということで,復帰を考え始めたのです。
 原も小久保を見て姿勢に共感できると思ったから,監督復帰に際してキャプテンに指名したのだと思います。巨人で生え抜き以外で主将になったのは初めてのことです。これまでの慣習を覆してでも,原は優勝のために小久保を選んだのです。その期待に応えたかっただけに,満足に出場できなくて小久保は悔しい思いだと想像できるのです。
 なお,原について詳しくは以下のリンクをクリックしてご覧ください。

・秋山幸二

 秋山とはダイエー時代に選手の先輩として,ソフトバンクになってからは監督と選手という関係でした。著書で語ったのは,主に選手時代の秋山についてです。
 秋山が西武から移籍してきた年,小久保のプロ1年目でもあったのです。小久保にとって秋山は,西武で大活躍した憧れです。小久保は秋山を兄のように慕い,ベンチではいつも隣でいろいろ質問して野球を教えてもらったのです。できるところから真似して,少しでも近づきたいと小久保は思ったのです。
 当時のホークスは,南海時代の1973年から優勝から遠ざかっているどころか,78年以来ずっとBクラスという弱小球団になっていました。それでも秋山は,チームの負けが込んでも何ひとつ不平不満を言わないのです。「プロ野球は技術がすべてだ」と言い続けたのです。そんな秋山に小久保はかわいがれたのです。
 秋山によって,小久保はプロ意識を植えつけてくれることになったと語ります。秋山が西武で培った常勝軍団の意識を,小久保が受け継いだということなのかもしれません。ホークスは段々と勝てるようになり,99年に優勝・日本一になったのは前述の通りです。
 09年から秋山が監督になると,前年の秋季練習初日に小久保をキャプテンに指名したのです。ホークスの選手時代から小久保を見て,チームを変えるにはこの人しかいないと思ったのかもしれません。
 小久保も優勝から遠ざかるようになったチームを見て,選手全員で同じ方向を向いてないことが気がかりと語ります。秋山からキャプテンに指名されたことで,もう一度先頭に立ってチームを引っ張ろうと決意したのです。
 そうしたことが功を奏したのか,2010年にホークスはリーグ優勝を果たします。翌年も優勝し,今度は日本一にもなったのです。
 王という大きな存在感を持つ監督と同時に,秋山という常勝を経験した先輩が身近にいた。秋山の移籍と同時にプロ入りした小久保にとっては,ベストタイミングだったのかもしれないのです。こうした幸運も活かして,小久保は大打者になったと思うのです。


以上,小久保の現役・コーチ時代に仕えた監督についてでした。


それではこれらを踏まえて,小久保監督がどのような采配をするのか考えてみます。

・「王イズム」を見直し,選手たちにもう一度植え付けさせるのか?

 現在のホークスの基盤となっているのは,現在も球団会長として在籍する王だと思います。弱小球団を常勝軍団にまで育て上げて,その後の監督も王の下でプレーやコーチを務めた野球人で受け継がれています。まさに「王イズム」は,ホークス野球の基盤になっていると思うのです。
 その「王イズム」を,直接の門下生である小久保によって見直し,再びチームに浸透させていくのではないかと思います。24年現在,現役選手で直接王監督の下でプレーしたのは和田毅くらいです。なので,王がチームに叩き込んだことを忘れていてもおかしくはないのです。
 例えば,前述でも書いた「生卵事件」から優勝した時の,王の大阪での行動です。この件から小久保は,『「見返す」では負のエネルギー』ということを学んだのです。自分たちは生卵をぶつけた人に対して,「今に見てろ」という思いで這い上がるよう踏ん張ったのです。それで活力へのエナジーになるので,それ自体は間違いではないと思います。
 しかし,それでは勝った時ファンに対して「見たか,こら」という気持ちになると思うのです。小久保はその姿勢から抜け出せなかったからこそ,大阪のファンに対する挨拶にためらいを持ったのではないでしょうか?
 対して王は,「ファンに夢を与える」という姿勢を説き続けました。それは小久保に対する説教でも示されています。大阪での王の行動から,小久保は負のエネルギーよりも,前向きなエネルギーで取り組む方がいいと学んだと思うのです。
 他にも,王が監督として最後のミーティングで説いたものに「自分に勝て」というのがあります。相手チームや選手と勝負する前に,自分自身に勝てない選手はユニフォームを着る資格はないというものです。小久保はこの話を聞き,「自分の中に悩みがあったり,自信がないときはことごとく打ち取られていた」と感じたのです。
 また,王は「誇り高き戦士になれ」とも言いました。「やるべきことをしっかりやった後は,堂々としていないさい」ということです。
 王はチームが弱い時でも常に堂々としていました。逃げたしたい時でも,胸を張って前を向き続けていました。「チームの先頭に立つ人の姿としては,これほど頼もしいことではありません」と小久保は感じたのです。これこそ誇り高き戦士なのです。
 21年からホークスは3年連続で優勝を逃しました。それも大型補強をしながら,全然勝ってないのです。そのため,ファンから厳しい声も出ていると思います。その中で,小久保は監督として指揮を執ることになります。もしかしたら,そうした声に負けて下を向いてしまっている選手が多いのかもしれません。
 そうした選手が前を向いてもらうために,小久保は王と同様に堂々とした姿勢でい続けると思います。そして選手に王から学んだことを話し,何が大切なのかを説くと思うのです。そして,もう一度「王イズム」をチーム内に叩き込むことができるのではないでしょうか?
 すべての原因とまで言わずとも,ホークスが優勝を逃しているのは「王イズム」が薄くなっているとも考えられます。小久保がそう感じたのなら,自分が王から学んだものを継承させるのかもしれません。若いころからの直接の師匠だけに,伝えられることも違うと思うのです。同じく王の門下生の多いコーチ陣と共に,「王イズム」を蘇らせるのではないでしょうか?


・失敗を活かす

 私が小久保の著書を読んで感じたのは,「小久保は失敗から逃げない,失敗を活かしているのでは」ということです。これは,小久保が脱税や離婚のこともしっかり書いているなどから感じたことです。本来なら触れたくないところにも,小久保はきちんと向き合っている証だと思います。
 また,プレミア12で優勝を逃した失敗があっても,小久保は「ここから逃げてしまっては2年後のWBCにおいても同じ失敗を繰り返すだけ」と思ったのです。そして,グラウンド内外の課題を明確にするために,様々な立場の人の話を聞く必要があると感じたのです。そこから改善に取り組んで,WBCに挑んだのです。
 こうした経験を踏まえて,小久保は次のように語っています。
 ”振り返ってみて印象に残っていることは,じつは苦しかったときがほとんどです。また失敗したこともよく覚えているものです。そう考えると,人は失敗から学ぶことが圧倒的に多いことがわかります。同じミスは繰り返さないように気をつけたり,上手くいかなかったときに創意工夫をこらす努力,そして時間。こういうことを経ることが成長につながる気がしてなりません”
 さらにそこから発展させて,小久保は「本当は過去も変えられるのではないか?」と思っているのです。過去の事実は変えられずとも,きちんと向き合うことで変えられるものがあるのです。
 小久保の場合,プレミア12で負けたところから,コーチ陣,スタッフ,多くの関係者たちと共にミーティングをしました。その結果,「これでは負けて当然だった」と思えるようになり,課題や改善点が浮き彫りになったのです。同時にWBCに対して,「同じミスはしないぞ」と決意を新たにできたのです。
 このように小久保は「過去を変える」ことができたのです。正しくは,「過去の捉え方は,いくらでも変えることができる」と私は思うのです。そうすることで,過去を悔やむものだけにするのか,次への活力や突破口にすることができるのか?小久保はそう言いたいのだと思います。
 小久保は侍ジャパンの監督時代を振り返り,次のように語っています。
 ”人生に起こるすべてのことは必然であり,無駄なものは何もありません。そして,一見するとマイナスに見えることでも,それをプラスに変えることで過去は大きく変化し,現在を前向きに過ごす活力となり,それが未来への明るい道筋となるのだと思います”
 このような「失敗から逃げない」姿勢で,小久保は監督に挑むと思います。また,選手にその重要性を説いていくのではないでしょうか?
 これから監督として,失敗もたくさんすると思います。それでも小久保は逃げない姿勢を持ち続けることができるのか?それによって,チームの行方も大きく変わると私は思うのです。


・小久保の考える「精神野球」

 小久保は侍ジャパンの監督を務める際,「精神論」を重要視して選手に説いていました。これは一般的に言われる「気合いだ」「たるんでいる」というものではありません。
 『「小久保野球」とは?』と聞かれた時,小久保は「手本となる選手が集まる野球」と答えるのです。それはグラウンド内だけでなく,ユニフォームを着ているときだけでなく,日常生活も含めたありとあらゆる局面での事です。小久保は侍ジャパン監督を務める中で,選手にその姿勢を求めたのです。
 例えば,帽子をかぶらずに練習すること,唾を吐くことを小久保は禁止したのです。せめて,侍ジャパンに招集されるときは守ってほしいと思っていました。やがて考えがチーム内に浸透していくと,そうしたことをする選手はほぼいなくなったのです。
 各チームを代表する選手,日本を代表する選手が集まるところで技術論で指導することは何もありません。その中で監督ができることは,「精神論を伝えること」と小久保は感じたのです。それは小久保が現役時代から大切にしていたのと同時に,「正しい心の持ち方があればこそ,望むべき結果も得られるはずだ」と考えるからです。
 この姿勢は監督としてもホークスの選手に求めていくと思いますし,二軍監督でも選手に求めていたと思います。もしも小久保が近年のホークスを見てだらしなさを感じたとすれば,一軍監督として選手に「精神論」を伝えていくと思うのです。
 他にも小久保の持論として,「チーム全体が腫れ物に触るようなベテランになってはいけない」というのがあります。実績を残し,ベテラン選手になってくると,監督を含めたチーム全体が,そのセンスの顔色を気にするようになりがちです。ここでちょっとした不平や不満を顔や態度に出してしまうことで,チーム全体にマイナスの影響を及ぼしてしまうということがあるのです。小久保はそれを何度も目にしたと語ります。
 そのような態度を見せない選手として,侍ジャパン監督時代にコーチを務めた稲葉篤紀を挙げます。稲葉はベテラン選手になっても,常に全力プレーを怠っていません。いつも若い選手の手本になっており,それは小久保にとっても常に理想としていたプレースタイルなのです。稲葉は決して,自分の期限でプレーをするような選手ではないのです。そうしたことも,稲葉をコーチに呼んだ理由だと小久保は語ります。
 ならば,現在のホークスで中堅・ベテランになっている選手に対して「稲葉を見習え」と言うのではないでしょうか?24年現在では,投手で有原航平,石川柊太あたり,野手なら甲斐拓也,柳田悠岐,近藤健介,中村晃などが該当するでしょうか?そうした選手に自分の態度を見直してもらうために,小久保は稲葉を手本に説くと考えられるのです。
 というように,小久保は自身の経験などを基にした「精神論」を持っています。それがチームに欠けていると感じたとなれば,まずコーチ陣に説いて理解してもらうと考えられます。そうしてコーチ陣に波及させてから,選手の指導に活かして波及させていく。これができるのではないでしょうか?


・「小久保哲学」を選手に浸透させるのか?

 以上に上げた以外にも,小久保は自分の経験から学んだ哲学を持っています。それを活かして采配するにあたって,それをコーチ,選手たちに波及させていくと思います。それはもう,秋季と春季キャンプからもう始めているのかもしれません。ここでは,他に小久保が持っている持論について書きます。
 小久保の著書のタイトルで『開き直る権利』というのがあります。侍ジャパン監督の経験を経て,小久保が学んだことをそのまま表現したのです。
 小久保の語る「開き直る権利」とは,決して投げやりになって「何とかなるでしょう」と思うことではありません。この権利を得るために必要なのは,これでもかというくらいの入念な準備です。「もうこれ以上は何もすべきことはない」という状態になって初めて,「あとはなるようになるさ」という心境になることです。
 小久保はプレミア12で優勝を逃した後,WBCに向けて入念な準備をしました。できるだけのことをやった後,今さら何をしても悪あがきとなるだけです。この時,小久保はようやく「開き直る権利」を得たと語っているのです。その心境に達すると,周囲が何を言おうとまったく気にならなくなったのです。
 大会開始前に小久保は,「最低,最悪の辞退って何だろう」と自問します。小久保にとってそれは,「1次リーグ敗退」なのです。次にそれが実現するとどうなるかと考えると,「自分の人生はどうなるか」と考えます。しばらく考えた結果,「せいぜいバッシングを受けるぐらいのことで,命まで取られることはないだろう」と結論に達したのです。
 そう考えられるようになった途端に,小久保の気持ちが落ち着いてきたような気がすると語るのです。大会本番前の強化試合,壮行試合に対する世間からの批判に対しても堂々と受け流せるような気がしたのです。それは原が据わり,覚悟が決まった瞬間です。この時の小久保は真の開き直る権利を得たのです。
 というように,本番に挑む前に「開き直る権利」を得られるかどうか?それが重要だと,小久保は語るのです。小久保はその境地に達したからこそ,WBCで最善の策で挑むことができ,敗退しても批判を受け止めることができたのです。
 このことを選手に説いていくのではないでしょうか?打撃では1秒もない速度でボールが来ます。その世界で打席で邪念を持っていると,結果がどうなるかは明らかです。選手も入念な準備で「開き直る権利」を得ることができれば,打席での結果も変わると考えられるのです。
 他には,「よい日は最後までよい形で終わることが大事である」というのがあります。これはホークスでコーチを務め,後にオリックスで監督を務めた森脇浩司から小久保が学んだことです。小久保が2打席連続ホームランを打った試合で,最後にエラーしたのです。その時に森脇から言われたことなのです。
 ”気を抜いてエラーしたわけではないのはわかる。ただ,よい日は最後までよい形にするという意識はあったか”
 森脇にそう尋ねられて,小久保はなかったと気がついたのです。それからは,活躍した試合ほど後半そのことを強く意識するようになったのです。よい日はほとんどよい形のまま終えることができ,それが自信の積み重ねになり,周りから見ても隙のないプレーヤーのイメージができたと,小久保は語るのです。
 小久保はホークスを見て,「終わりまでいい形」という選手が何人いると思っているでしょうか?もしも少ないと感じるのなら,ホークスが優勝を逃し続けている一因なのかもしれません。そこを正そうと,森脇から学んだことを説くことも考えられるのです。
 他には,小久保が引退直後に出した本のタイトル『一瞬に生きる』というのがあります。過去を引きずらず,未来を予測しすぎないことです。一瞬に全知全能をかけ,エネルギーを分散させずに一点に集中させることなのです。
 このような生き方ができれば,たとえ思うような結果が出なくても後悔はしないのではないかと小久保は思うのです。そして,「一瞬に生きる」ことができているかどうかを,いつも確認する癖をつけようと思うようになったのです。
 これは師匠の王の言葉である,「この一球は二度とない」と共通していると思います。二度とない一球という意識を強く持ち打席に立つ。王の言葉から,小久保がつかんだ言葉なのです。「王イズム」を見直す1つになるかと思います。
 以上のように,小久保がつかんだ「小久保哲学」をどのように波及させていくでしょうか?そうして意識改革を行うことで,ホークスを再び常勝軍団に戻していくよう取り組むのではないでしょうか?


以上,小久保監督の采配を予想してみました。


やはり,小久保が采配をするにあたって,一番ベースになるのは「王イズム」なのは間違いなさそうです。

ただし,それだけでなく,自分と関わった人,自分の経験を活かして学んだものもあります。

その上,自分の失敗からも逃げず向き合い続けました。

こうした姿勢で采配をして,自分の考え方を説いていくと思います。

それを続けることで,選手たちも小久保を見習うようになるのかもしれません。

小久保監督に期待できることは,姿と言葉でチームが変わることだと私は思います。

屈辱や挫折も多く経験したことで,「教材」は多くあると考えられます。


それでは最後に,小久保監督の課題を考えてみます。

・固定観念から脱却できるのか?

 小久保の著書を読んでみますと,小久保にはいくつかの固定概念があるように感じました。この固定概念から脱却,進化できなければ苦しい采配になるのではないかと思うのです。
 例えば,小久保は「クローザー最強説」を持っていました。プレミア12ではそれを基に選手を集めていました。次のように語っています。
 ”各チームには最終回を任される「クローザー」と,試合中盤から後半を任される「セットアッパー」がいますが,基本的にはもっとも力のある投手がクローザーを務めるものだし,クローザーの多くがセットアッパー経験者です。手帳にも記したように「今後も中継ぎ専門職よりもクローザーを起用する」という考えは変わりませんでした”
 小久保の「クローザー最強説」とは,「チームでクローザーを務められるのなら中継ぎも務められるはず」というものです。9回という大きなプレッシャーで投げる投手なら,どんなところでも結果を出せると考えていたのです。
 ところが,プレミア12ではこれが裏目に出たのです。準決勝の韓国戦,7回まで大谷翔平,8回は則本昂大が無失点で抑え続けていました。3-0で日本リードの9回表,小久保は則本をそのまま続投させました。則本は3者連続ヒットを食らい,さらに死球をぶつけて,アウトを取れずに交代します。
 次に出たのは,当時東北楽天ゴールデンイーグルスでクローザーを務めていた松井裕樹です。その松井が四球を出し,結局それだけで再び投手交代です。次に出たのは,当時北海道日本ハムファイターズでクローザーを務めていた増井浩俊です。その増井もタイムリーヒットを打たれて,逆転を許したのです。こうして日本は準決勝で敗れ,優勝の夢が絶たれたのです。
 小久保の打算では,「クローザーならピンチでも抑えられる」と考えていたと思います。しかし,クローザーは通常,9回の頭から登板することがほとんどです。イニングの途中からの登板もなくはないですけど,経験値は少なめだと思います。そのため,クローザーの中にはイニング途中からの登板を嫌う人もいると聞いたことがあります。
 松井も増井も,この時点でイニング途中のピンチで登板の経験値はどれだけあったのでしょうか?むしろ,イニング途中のピンチなら,途中からの登板経験が豊富な中継ぎの方が向いていたのかもしれません。
 そのことを踏まえてなかったのか,小久保はこの時のリリーフ投手でクローザーを中心に集めていたのです。逆に中継ぎ専門の選手はほとんど招集せず,それが裏目に出たのです。
 次のWBCで小久保は,日本一の投手コーチである権藤博をコーチに招きました。権藤の提案で,小久保は中継ぎ専門の選手も選ぶことを決めました。秋吉亮,宮西尚生を招集したのです。小久保は権藤から「改めて野球の奥深さ,そして勝負の難しさを教わりました」と語るのです。
 このほかにも,小久保なりの「4番打者像」というのを持っていたりします。他にも,小久保の持論の中には「古い考え方」と思うものがあったりします。それは小久保も自覚しているところがあるのです。
 これから采配をする上で,こうした固定概念とぶつかるケースがあるときはどうするのでしょうか?意地でもそこに固執するのか,権藤のケースのように他の人の力を借りてでも見直すのでしょうか?そこは重要だと思うのです。

・フロントにどれだけモノを申せるのか?

 2021年から23年まで,ホークスは3年連続で優勝を逃しました。20年にパ・リーグ優勝,17年から20年まで4年連続日本一になっただけに,その反動は大きいです。特に23年は何十億も使って大型補強を敢行したのに,3位とホームでクライマックスシリーズ(CS)開催も逃した結果です。
 こうしたことで,フロントに厳しい声が出ています。特に編成の責任者であるゼネラルマネージャー(GM)に対しての批判は小さくありません。このような状況の中で,小久保は監督を託されたのです。
 その小久保は,どれだけフロントに意見を言うことができるのか?王が球団会長にいるからといって,遠慮せずに要望などを出すことができるのか?フロントに批判が集まっている以上,ここも重要だと思うのです。
 かつて小久保は,ダイエーホークス時代にフロントにいろいろ言ってきました。特に2003年にOP戦で大けがをした時は,手術代のことでもめて「もう自分は必要とされてない」と思うくらいになったのです。それでオフに放出を志願し,無償トレードで巨人に移籍したのです。
 実際,この時のフロントに対して不満を持つ選手は多くいました。武田一浩,工藤公康,若田部健一,村松有人と,多くの主力選手がFAで移籍しているのです。そして小久保の放出に対しても,ホークスの選手はフロントに対して不信感を持ち,優勝旅行をボイコットするまでになったのです。それだけ,当時のホークスフロントは機能してなかったのです。
 2005年からソフトバンクホークスになったものの,杉内俊哉などフロントと対立して移籍した事例はあります。この時小久保はホークスに復帰していたものの,フロントに何か意見を言っていたのでしょうか?
 というように,ホークスフロントは何かしら批判させるようなことがあるのです。そこに3年連続で優勝を逃しているだけに,フロントに対する不信が強くなってもおかしくないのです。
 こうしたフロントに,小久保は臆することなく意見を言えるのでしょうか?そして,フロントの姿勢などを正すことができるのでしょうか?フロントともめたことある小久保だからこそ,それができるのではと思うのです。


以上,小久保監督の課題を考えてみました。


では締めに入ります。

小久保が監督になることは,多くのファンが待っていたのではないでしょうか?

03年オフに小久保が巨人へ移籍した時も,ホークスファンは復帰を待っていたのかもしれません。

06年オフに本当に復帰すると,ファンは歓喜に満ちていた記憶があります。

そして,小久保は21年にコーチとして復帰し,ファンの中で監督待望が募ったと思います。

その時が来たのです。


侍ジャパンでは,結局優勝を果たせませんでした。

そのリベンジということになると思いますけど,小久保の中では「今度こそ優勝」と意気込んでいると思います。

果たして,現役時代のようにファンを喜ばせることができるのでしょうか?

「王イズム」の継承者である小久保,新たな挑戦が始まるのです。



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一瞬に生きる
小久保裕紀
小学館
2014-02-21


開き直る権利 侍ジャパンを率いた1278日の記録
小久保 裕紀
朝日新聞出版
2017-11-30




ファンが「荒療治」をするような事態にはしてほしくないです

今日も横浜でベイ戦です。

先発はヤクルトがライアン,ベイが今永です。


今日は試合のこと以外で言ってみることにします。

昨日,Jリーグで異常な事態が起こりました。

ガンバ大阪のサポーターが,試合前にSNSで発表しました。

90分間丸々,応援をボイコットするということです。


私はサッカーについて詳しくはないです。

調べてみますと,現在のガンバはJ1で最下位です。

ここまで1勝しかしてないという事態です。

ここ数年は低迷して,2年連続監督が途中で変わっています。

このままだと,J2降格ということになりそうです。

間違っているところがあれば,ご指摘して頂きたいです。


こうした不甲斐なさに対して,サポーターが抗議したということになりますね。

昨日の試合は,横浜・F・マリノスに対して負けました。

試合後,選手たちはサポーターと話し合ったとのことです。

サポーターからは,「絶対見捨てないからな」と激励の言葉があったとのことです。

宇佐美貴史など,涙を流した人もいるとのことです。


このサポーターの行動には,当然賛否両論が出ると思います。

私としても,正しいか間違いかを一概にまとめて言うことはできません。

恐らくサポーターの方としては,長年の低迷に対して我慢できなかったと思うのです。

フロントや監督や選手に対して嫌でも自覚してもらうための荒療治と考えての行動だと思います。

他の例を見てみますと,サッカーはこうした行動が多いように見えますね。


今回のサポーターの行動を知った時,1996年の「生卵事件」を思い出しました。

野球界でも,このような有名な抗議行動がありました。

これは福岡ダイエーホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)で起こったことです。


95年から王貞治がホークスの監督に就任しました。

当時ホークスは,南海ホークス時代の1973年に優勝して以来Bクラス続きでした。

ホンマに一度も3位以上がこの期間になく,低迷のまま88年オフにダイエーに身売りしたのです。

そんな中,巨人監督時代に優勝させたことがある王が監督になりました。

そのため,ファンとしてはホークスが勝てるようになると大きな期待を抱いていたと思うのです。


ところが,就任1年目の95年は5位。

翌96年は最下位になったのです。

期待が大きいだけに,ファンからは抗議の横断幕や怒号が出ました。

そして,1996年5月9日の近鉄バファローズ戦で事件が起こりました。

この日は,大阪・日本生命球場での最後の試合でした。

この日もホークスは破れ,「やる気がねえなら辞めちまえ」と合唱が起こるくらいでした。

試合後,ホークスのバスに向かって生卵がぶつけられたのです。

不甲斐ないホークスに対しての抗議を込めてです。


これに対して王は怒らず,選手たちに説いたのです。

「こうした行動をするのは,心熱きファンが我々が不甲斐ないためにすることだ」

「我々はこうした行動に怒るのではなく,こうしたことをするファンから拍手をもらえるようにするのだ」

「だから,我々は勝つしかない」

王はファンの行動に怒らず,ただひたすら勝利を求め続けたのです。


王も選手もフロントも我慢して,そこからホークスは着実に成績を伸ばしました。

そして監督就任から5年目の99年,王はホークスを優勝・日本一に導くことが出来たのです。

まさに,「生卵事件」から這い上がってきたということなのです。


まず誤解してほしくないのは,私は決して「生卵をぶつけたことが正しい」とは思っていません

自分が応援するチームが不甲斐ないことで鬱憤が溜まることは,誰にでもあることなのは間違いないです。

長年チームが低迷するとなれば,フロントや現場の自覚が足りないということはあり得ると思います。

時には,フロントから目を覚まさせることも必要だと思うのです。

しかし,だからといって「やってはいけない行動」というのはあると思います。

極端に言えば,明らかに選手やその関係者を傷つける行動です。

SNSで誹謗中傷する,選手などを直接襲う,脅迫するなどです。

当時生卵をぶつけた人は,「自分がホークスを優勝させた」と言えるのでしょうか?

もしそう言えるとすれば,過激な行動した人は皆「正当化」することができるということになります。

それを「荒療治」と捉えることが出来るということになるのです。


「生卵事件」の場合,王が神対応したことで「そこから奮起」というストーリーになったのです。

今回のガンバの一件は,まだ比較的穏便な抗議行動だと思うのです。

もう一度言いますけど,こうした抗議行動を一概に正しいか間違いかを言うことはできません


確かなのは,フロントをはじめとしてチームがすべきことは勝つこと以外にないです。

ファンやサポーターが勝つことを求めているからこそ,こうした行動が起こるのです。

結局は勝つことでしか何かを示す,こうした行動に応えることが出来ないのです。

それができてこそ,真のプロだと思うのです。


そして,その前の期待値が高ければ高いほど,こうした行動は起こりやすいです。

ホークスは巨人で優勝させたことがある王だからこそ期待が高かったのです。

ガンバはJリーグ創設からのチームで,優勝などいい成績も残しています。

だからこそ,不甲斐ない成績に対して敏感になり,落胆も大きいと思うのです。


正直,今のスワローズもこうした事態に当てはまっているように感じるのです。

昨季・一昨年とセ・リーグ連覇して,一昨年は日本一にもなりました。

ファンは勝ちを知ることになり,勝利に対して貪欲になっていると思うのです。

選手個人で言えば,村上は昨季三冠王に輝きました。

それだけに,今季の成績低迷に対する落胆も大きいと思うのです。

そのため,もしかしたらファンが「荒療治」する事態になるのではと思ってしまうのです。


私もスワローズファンで,やはり勝利を求めています。

2017年,19年,20年は最下位で,本当に苦しかったです。

前述の「生卵事件」を思い出すと,「神宮行って生卵をぶつければ勝てるんちゃう?」と思うこともありました。

そう思うのは,生卵事件からホークスが優勝できたと美談になっているからです。

無論それは,ファンとして「越えてはならない一線」だと思っております。

だから,私はそうした行動したことがないですし,してはならないと思っているのです。


ただし,チームにお願いもあるのです。

ファンがそうした「荒療治」をさせることはしてほしくないです。

あくまでも成績が不甲斐ないから,そうした行動をとるのです。

成績が良ければ,基本的にそうした行動は出ません。

どんなに有名な選手を放出したとしても,その時は抗議行動が出るかもしれません。

しかし,チームが勝つようになれば,そうした行動は沈静化できます。

その意味を,ガンバ以外のチームも,他のスポーツのチームもよく考えてほしいです。


私としては,スワローズが再び浮上できることを祈るのみです。

ファンとしては,そう信じることしかできませんから。

ここで時には厳しいことを書くこともあります。

私にできることをしていくだけです。


うまくまとめてはいませんけど,昨日のガンバの一件から考えることを書いてみました。

スポーツチームの皆さんには,今一度よく考えてほしいなと思っています。


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今の村上は,「間抜け」なバッティングになっています

今日も神宮で巨人戦です。

先発はヤクルトが吉村,巨人が横川です。


もう一度言うことになりますけど,今日こそ吉村のプロ初勝利をプレゼントしてほしいです。

そうすれば,このカードの勝ち越しもつかめますからね。


さて,今日はある選手のことを書いてみます。

それは,不振にあえぐ村上宗隆です。


ここまでチーム打率1割台の中,不振からの脱出の兆しが見えないのが村上です。

昨日の試合も見ましたけど,一番バットを振れてない感じがしたのです。

私が思うに,今の村上のスイングは「間抜け」なのです。


「間」とは,音や動作の休止における時間的長短のことです。

歌舞伎,狂言,落語,漫才など演芸において,この「間」は非常に大事です。

相手が笑う時や「ここぞ」というところを見せる時,「間」を取れるのかで芝居のうまさが出ると思います。

相手が笑っているときにそのまま芸を続けていると,相手に笑う時間を与えないことになります。

そうすれば相手は芸について行くことができず,結局面白くないものになるのです。

「間」とは,拍子やテンポと言い換えてもいいですね。

それが拙いということは,当然芝居自体が拙いということになります。

そうした拙い芝居に対しては,「『間』が抜けている」と言われます。

つまり,「間抜け」な芝居ということになるのです。

それが転じて,馬鹿な人をののしる言葉として「間抜け」があるのです。


昨日の試合を見ていますと,村上はタイミングが全然取れていません。

だから,ストライクを振らずに,クソボールを振る傾向があるのです。

これは昨季終盤の56号が出るまでと同じです。

タイミングが取れてないということは,昨日解説の松中信彦も語っていました。

つまり,今の村上は「間が取れていない」打撃,つまり「間抜け」なバッティングになっているのです。


それだけ,どのようなジャンルでも「間」というのは非常に大事なのです。

我々も24時間働いたりすることはできず,どこかで休息や息抜き,睡眠をとることは大事ですよね。

これもいわゆる「間」ですね。

この「間」をうまく取れてない人は,仕事なども「間抜け」ということになりますね。


打撃においても,どのように「間」を取るのかは非常に大事なはずです。

王貞治は,一本足打法になる前は「間」の取り方で苦戦していました。

それが片足を極端に上げるようになることで,「間」を取れるようになったのです。

そこから868号への道が始まったのです。

その門下生である松中も,片足を上げてタイミングを取っていましたね。

王,松中,村上のいずれも三冠王に輝きました。


今の村上は,その「間抜け」な状態からいかに脱却するかですね。

私は決して,村上がサボっているとは思いません。

試合前や試合後もバットを振って,何とか不振から脱出しようとしているとは思います。

そう感じているからこそ,ファンは応援し続けると思うのです。

果たして,村上の「間抜け」から脱出できる日は来るのでしょうか?


以上,今日は昨日の試合を見て感じたことを書いてみました。

今日は「チームスワローズ」で,今度こそ吉村のプロ初勝利をつかみたいです!


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門田博光,74歳で死去

本日,プロ野球界で訃報が出ました。

現役時代に南海ホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)などでプレーした門田博光。

1月23日に亡くなっていたと発表されました。

74歳でした。


門田は1948年2月26日,奈良県五條市で生まれます。

天理高校,社会人のクラレ岡山を経て,1968年ドラフト12位で阪急ブレーブス(現:オリックス・バファローズ)に指名されます。

しかし,門田は入団を拒否して,翌1969年ドラフト2位で南海ホークスに入団します。

1年目から79試合出場して,2年目には31本塁打を記録します。

打点は120となり,2年目で打点王に輝くのです。

選手兼任監督である野村克也の下で,レギュラーとして活躍を続けるのです。

79年の春季キャンプで,アキレス腱を断裂するのです。

当時としては現役復帰は困難と言われる中,門田は復活を見せるのです。

足に負担をかけないよう,徹底した長打狙いのスタイルに変更します。

1980年は41本塁打を放ち,カムバック賞に輝くのです。

81年には44本塁打を放ち,初の本塁打王に輝きます。

83年にも40本塁打で本塁打王に輝き,DHで出場を重ねていくのです。

88年には40歳で44本塁打,125打点で,本塁打王と打点王の二冠に輝くのです。

40歳で40本塁打越えということで,「不惑」という流行語が出たのです。

89年からはオリックス・ブレーブスでプレーし,91年に古巣の福岡ダイエーホークスに移籍します。

92年に現役を引退します。


通算本塁打567は,王貞治,野村克也に続く歴代3位の記録です。

通算打点1678も,王とノムさんに続く歴代3位です。

通算安打2566は,歴代4位の記録です。

アキレス腱を断裂という大けがを乗り越え,様々な偉業を成し遂げた野球人なのです。


引退後は解説者や評論家を務めます。

2006年に野球殿堂入りを果たします。

コーチ就任要請はあったらしいですけど,門田はいずれも断っています。

結局,コーチや監督になることなく人生を終えたのです(大阪ホークスドリームというクラブチームの監督経験はあり)。


私は門田の現役時代を見たことがありません。

門田という存在を知ったのは,パワプロのOB選手として見たのが最初です。

パワーが高くて,足や守備は全然という能力で,まさにDH専任というようなタイプです。

現役時代のVTRを見たことがありますけど,本当に綺麗なホームランに見えます。

常に本塁打を狙う姿勢でも,本当に綺麗にボールを捉えているのです。

スイングとボールの軌道が一致する,「パカーン」というホームランなのです。

それだけの技術を追求したからこそ,通算本塁打3位という偉業を達成したのだと思います。


ノムさんが語るに,江夏豊,江本孟紀と並ぶ「南海三悪人」だそうです。

門田はプライドが高く,ノムさんの助言に反発しまくったのです。

それをノムさんは天の邪鬼という性格だと思い,要求とは逆のことを門田に言ったのです。

コンパクトに振ってほしい時は,「もっと振り回さんかい」と言ったのです。

「人を見て法を説け」ということを,門田を通してノムさんは学んだのです。

門田とノムさんのエピソードについては,「『野村克也からの手紙』を読んで その3」をクリックしてご覧ください。


門田もまた,2020年2月11日に亡くなったノムさんについて語りました。

現役時代は反発していたものの,ノムさんは門田の野球バカを認めていたとのことです。

門田はプライドが高い故,ノムさんが生きている間に素直な気持ちを言えなかったのかもしれません。

しかし,そのプライドの高さが,絶え間ない野球への向上心につながっていたと思うのです。


また1人,南海ホークスを象徴する選手が世を去りました。

こうして訃報が出ることで,南海時代が本当に過去のものと思えてしまいますね。

今後,門田の通算記録を超える選手が現れるのでしょうか?

そこに近づく選手が現れた時,また「門田博光」という名前が出てくるのかもしれません。

その時,我々は改めて門田の偉大さをしるのかもしれませんね。


では,『南海ホークスの歌』を聞きながら,門田を見送ることにします(2023年1月24日アクセス)。

今ごろ,あの世でノムさんなど南海戦士と野球談議をしているのでしょうか?



合掌

2023年の注目選手 東京ヤクルトスワローズ編

今回も,2023年シーズンの各チームの注目選手を考えてみます。

今回は,東京ヤクルトスワローズ編です。

それでは,最後までよろしくお願い致します。


2023年シーズンの東京ヤクルトスワローズの注目選手は…

村上宗隆

今季も村上に大いに注目できるのではないでしょうか?


昨季はまさに,「村神様」のシーズンと言っていいと思います。

王貞治を超える日本人シーズン本塁打を更新し,令和初の三冠王に輝きました。

チームも優勝して,まさに球界の4番という存在になってきたのです。


ただし,ハッピーだけでないシーズンというのも間違いないはずです。

終盤の村上は失速して,最終戦でようやく56本塁打に達しました。

CSや日本Sでも言うほど爆発せず,日本一を逃すこととなったのです。

村上本人もタイトル獲得の喜びを語る一方で,最後に勝てなかった悔しさも語ります。

「今季こそ最後まで勝つ」と意気込んでいるに違いないです。


数字で言いますと,今季の村上には挑戦権が与えられました。

まず,これまで3人しか達してない2年連続の三冠王です。

王貞治,落合博満,バースしか達成していません。

もう一つは,それより少ない2年連続の50本塁打です。

落合とカブレラしか達成してないのです。

この他にもあると思いますけど,村上にはこれらの挑戦権が与えられたのです。

さらなるレジェンドになれるか,嫌でも注目されると思います。


相手も昨季以上に村上を警戒するのは間違いないです。

それを村上は跳ね返せるのでしょうか?

昨季の悔しさを忘れず,今季は最後まで勝ち抜くことができるのでしょうか?


次回は,北海道日本ハムファイターズ編です。

それでは,またよろしくお願い致します。



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