求究道(ぐきゅうどう)のプロ野球講義

プロ野球について,私が聴いて,観て,感じて,発見したことを基に,新たな考えを発信していきます。 皆さんの新たな発見につながることを祈ります。 「求めるものを究める道」がペンネームです。 よろしくお願い致します。

江夏豊

プロ野球ついて,私が観て,聴いて,感じたことを基に,新たな考えを発信していきます。
皆さんの新たな発見につながることを祈ります。
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どちらもよろしくお願い致します。

門田博光,74歳で死去

本日,プロ野球界で訃報が出ました。

現役時代に南海ホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)などでプレーした門田博光。

1月23日に亡くなっていたと発表されました。

74歳でした。


門田は1948年2月26日,奈良県五條市で生まれます。

天理高校,社会人のクラレ岡山を経て,1968年ドラフト12位で阪急ブレーブス(現:オリックス・バファローズ)に指名されます。

しかし,門田は入団を拒否して,翌1969年ドラフト2位で南海ホークスに入団します。

1年目から79試合出場して,2年目には31本塁打を記録します。

打点は120となり,2年目で打点王に輝くのです。

選手兼任監督である野村克也の下で,レギュラーとして活躍を続けるのです。

79年の春季キャンプで,アキレス腱を断裂するのです。

当時としては現役復帰は困難と言われる中,門田は復活を見せるのです。

足に負担をかけないよう,徹底した長打狙いのスタイルに変更します。

1980年は41本塁打を放ち,カムバック賞に輝くのです。

81年には44本塁打を放ち,初の本塁打王に輝きます。

83年にも40本塁打で本塁打王に輝き,DHで出場を重ねていくのです。

88年には40歳で44本塁打,125打点で,本塁打王と打点王の二冠に輝くのです。

40歳で40本塁打越えということで,「不惑」という流行語が出たのです。

89年からはオリックス・ブレーブスでプレーし,91年に古巣の福岡ダイエーホークスに移籍します。

92年に現役を引退します。


通算本塁打567は,王貞治,野村克也に続く歴代3位の記録です。

通算打点1678も,王とノムさんに続く歴代3位です。

通算安打2566は,歴代4位の記録です。

アキレス腱を断裂という大けがを乗り越え,様々な偉業を成し遂げた野球人なのです。


引退後は解説者や評論家を務めます。

2006年に野球殿堂入りを果たします。

コーチ就任要請はあったらしいですけど,門田はいずれも断っています。

結局,コーチや監督になることなく人生を終えたのです(大阪ホークスドリームというクラブチームの監督経験はあり)。


私は門田の現役時代を見たことがありません。

門田という存在を知ったのは,パワプロのOB選手として見たのが最初です。

パワーが高くて,足や守備は全然という能力で,まさにDH専任というようなタイプです。

現役時代のVTRを見たことがありますけど,本当に綺麗なホームランに見えます。

常に本塁打を狙う姿勢でも,本当に綺麗にボールを捉えているのです。

スイングとボールの軌道が一致する,「パカーン」というホームランなのです。

それだけの技術を追求したからこそ,通算本塁打3位という偉業を達成したのだと思います。


ノムさんが語るに,江夏豊,江本孟紀と並ぶ「南海三悪人」だそうです。

門田はプライドが高く,ノムさんの助言に反発しまくったのです。

それをノムさんは天の邪鬼という性格だと思い,要求とは逆のことを門田に言ったのです。

コンパクトに振ってほしい時は,「もっと振り回さんかい」と言ったのです。

「人を見て法を説け」ということを,門田を通してノムさんは学んだのです。

門田とノムさんのエピソードについては,「『野村克也からの手紙』を読んで その3」をクリックしてご覧ください。


門田もまた,2020年2月11日に亡くなったノムさんについて語りました。

現役時代は反発していたものの,ノムさんは門田の野球バカを認めていたとのことです。

門田はプライドが高い故,ノムさんが生きている間に素直な気持ちを言えなかったのかもしれません。

しかし,そのプライドの高さが,絶え間ない野球への向上心につながっていたと思うのです。


また1人,南海ホークスを象徴する選手が世を去りました。

こうして訃報が出ることで,南海時代が本当に過去のものと思えてしまいますね。

今後,門田の通算記録を超える選手が現れるのでしょうか?

そこに近づく選手が現れた時,また「門田博光」という名前が出てくるのかもしれません。

その時,我々は改めて門田の偉大さをしるのかもしれませんね。


では,『南海ホークスの歌』を聞きながら,門田を見送ることにします(2023年1月24日アクセス)。

今ごろ,あの世でノムさんなど南海戦士と野球談議をしているのでしょうか?



合掌

『パワプロ8決定版』:難攻不落の「伝説最強チーム」

現在最新のパワプロは,『パワプロ2022』ですね。

その中のパワフェスには,様々なチームが存在してます。

過去のパワプロで出てきた高校,大学,社会人チームなどがあります。

それを見て,懐かしいと思った方もいると思います。


その中で,「プロ野球レジェンズ」というチームがあります。

パワプロに出てくるOBによって結成されたチームです。

その選手の最もいい時の能力が集結して戦うことになります。

レジェンドばかりなので,無論手ごわいです。


初めて戦った時,BGMを聞いて鳥肌が立ちました。

そう,この曲なのです(2022年9月5日アクセス)。


『パワプロ8』(決定版)で出てくる曲なのです。

まさに,ラスボス戦というものを表しているように感じます。

そう感じた曲は,パワプロで他には見当たりませんね。


パワプロ8は,『パワプロ8決定版』でプレーしていました。

この曲を聴きますと,サクセスの最終ステージを思い出すのです。

そう,セントラルタワーに仲間を集めて入った時のことです。

仲間を8人以上集めると,そこで「最後の戦い」が始まります。

まず,主人公自身と仲間とそっくりそのまま戦います。

それに勝った時こそ,「難攻不落の最終ステージ」を迎えます。

それが「伝説最強チーム」との対決です。


パワプロ8(決定版)に入っているOB選手が集まるチームです。

しかも,それぞれが全盛期の時の能力です。

それがとてつもなく難しく,ここを一度もクリアできずにソフトを手放した人もいると思います。

私も,一度もここをクリアできずに手放しました。


今回は,この「伝説最強チーム」がどれくらいの強さなのかを見て頂きたいです。

そして,これがいかに難攻不落なのかを知って頂きたいです。

それでは,最後までよろしくお願い致します。


まずは野手陣です。

こちらが,「パワプロ8決定版」の「伝説最強チーム」の野手陣です。
伝説最強野手

TVゲームが発売されたのは2001年のことです。

その時の私は学生でしたけど,もうこのメンツを見て思いました。

勝てるかあ!

私は小さい頃から名鑑をよく読んでいました。

そこで歴代成績などをよく見ており,それでOBの名前も覚えました。

それで知ったレジェンドが,これでもかというくらい揃っているのです。


1番,通算477盗塁は歴代5位で,33試合連続安打は日本記録。

カープの切り込み隊長・高橋慶彦。

70盗塁が出塁すれば,もう「盗塁してください」じゃないですか。

2番,通算3085安打は唯一の3000本安打。

「安打製造機」はこの男を除いては語れない・張本勲。

最強のアベレージヒッターが2番って,贅沢にもほどがある。

もう,ここで30本塁打100打点が来ますから

3番は日本人最多の55本塁打・王貞治。

4番は三冠王3回・落合博満。

5番,161打点は71年間破られてない不滅の記録。

「和製ディマジオ」・小鶴誠。

55本塁打,三冠王,161打点って,表現できないくらい最強のクリーンアップじゃん。

6番,説明不要のミスター・長嶋茂雄。

ここでも30本塁打に100打点ですよ…

7番,捕手の最強打者・野村克也。

ここで52本塁打って,最強の7番打者じゃん…

8番,「ミスター赤ヘル」・山本浩二。

8番に44本塁打と100打点って…

もう,ホッとできるところのないメンバーです。

このメンバーだけ見ても,「勝てるかあ!」と思ったのです。


また,ベンチのメンバーも豪華すぎます。

投手での代打でしか出ません。

それでも「不惑の大砲」・門田博光,「アーチスト」・田淵幸一,「怪童」・中西太…

さらに,「最強の代打」・高井保弘,同じく代打の切り札・川藤幸三…

誰が代打で出ても,ホームランを覚悟せずにはいられないのです。

マジで,プレーヤーはどのイニングでも気が休めないのです。

現実世界でこんなメンバーが集まれば,相手投手は投げたくないと思うのではないでしょうか?


今度は投手陣を見てみます。

こちらがメンバーです。
伝説最強投手

投手を見ても思いました。

勝てるかあ!

「神様・仏様・稲尾様」こと稲尾和久からスタートです。

いきなり三冠王って…

次は「カミソリシュート」の平松政次,「サブマリン投法」の山田久志…

そして,クローザーは「江夏の21球」でおなじみの江夏豊です。

名球会入りした選手ばかりで,誰なら攻略しやすいとかないです。

実際の試合では,稲尾→平松→山田→村田→西本→中西→江夏の順で登板します。

杉浦と牛島は,延長戦にならないと出ないそうです(私は対戦で延長戦の経験はないです)。

なので,ある程度相手投手に慣れたとしても,次々と交代されるのです。

これもまた,相当苦戦する一因なのです。


ということで,以上が「伝説最強チーム」です。

投手よりも,野手に「勝てるかあ!」を感じるのです。

スタメンで「30本塁打と100打点」が7人も連続で出てきます

しかも,選手全員絶好調です。

マイナス能力があっても発動せず,能力は劇的にアップします。

これらのことを含めて,

勝てるかあ!

としか言えないのです。


ただし,この最終ステージをクリアすれば,パワプロ8の真のエンディングを見ることができます。

なおかつ,相当素晴らしい選手を作成することができます。

このサクセスのルール上,最後の手段として挑むという人もいると思います。

そう思って入ってみたら,このとんでもないメンバーです。

パワプロ8決定版をやりまくっていた当時,私は何度挑んでいたでしょうかね…

そんな思い出を持ってる方がおられますのなら,コメントよろしくお願い致します。


今回このネタを書いたのは,村上宗隆がきっかけなのです。

一昨日の試合で,村上は51号に到達しました。

これで1950年の小鶴誠に並んだのです。

ということで,昨日「71年間破られてない記録保持者:小鶴誠」というネタを書いたのです。

書いているとき,「そういえば小鶴は,パワプロ8決定版にいたな」と思い出したのです。

ならばと,「伝説最強チーム」を丸ごと紹介したのです。

考えてみれば,村上はこうしたレジェンドたちに挑んでいるということになります。

村上はレジェンドになれるのか,もうレジェンドなのか…

皆さんの答えはいかに…



最後までご覧頂き,ありがとうございます。

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それでは,またのお越しをお待ちしております。


皆さんに,新たな発見が見つかりますように・・・ ・・・。

カープの強さの礎を作った古葉竹識,死去

本日,カープなどでプレーし,カープなどで監督を務めた古葉竹識が亡くなったと発表されました。

12日に亡くなっていたとのことです。

85歳でした。


古葉は熊本出身で,1957年に広島カープに入団しました。

ショートのレギュラーでプレーし,南海ホークスでもプレーしました。

引退後は南海でコーチを務め,1975年途中からカープの監督となりました。

その年に,カープを創立初めての優勝へと導きました。

カープを4度の優勝,3度の日本一に導き,黄金時代を作りました。

79年の「江夏の21球」は,今でも語り草です。

横浜大洋ホエールズでも指揮を執った後,東京国際大学でも監督を務めるのです。


もうね,今のカープの強さの源を作った名将が古葉なのです。

古葉政権で作られた投手力と機動力。

その後もカープが優勝するときは,この2つが優れているのです。

そのルーツは,1975年の古葉による初優勝なのです。

「古葉がいなければ,今のカープがない」は過言ではないのです。


そうした名将が,またひとり旅立ったのですね。

カープファンにとっては,絶対に忘れてはならない存在ですね。

今頃は,あの世で衣笠祥雄や三村敏之などと,強かったころのカープと今のカープを話していますかね?


かつては,「太陽が西から昇ることがあっても,カープが優勝することなんてない」と言われていました。

そんな優勝と無縁なチームを初めて優勝させ,黄金時代を作ったのが古葉です。

「野球界を面白くした」と言っていいのではないかと思うのです。

改めて,球界への貢献や偉大さを感じるものです。


本当にありがとうございます


合掌

「8回最強説」って,本当なの?

本日もスワローズ戦はありません。

ということで,2日連続で私の考えを書いてみようかと思います。

昨日の投稿では,「2番最強説」について考えてみました。

最近,あらゆるチームで取り入れられている,2番に強打者を据える手です。

この作戦の妥当性などを,私なりに考えてみたのです。

詳しくは,『「2番最強説」って,本当なの?』をクリックしてご覧ください。


今回は投手で気になることを書いてみようかと思います。

私の中で,リリーフ投手で「これではないかな」と思っているのが,


「8回最強説」


というものです。


これは,セットアッパーと呼ばれる投手は8回に勝っている場面で起用されます。

9回を締めてもらうクローザーへのつなぎで,中継ぎでは最強投手といわれます。

そこに,チームで最強の投手を持ってくるべきではという説です。

言い換えれば,「セットアッパー最強説」ということですかね。


2000年代に入ると,この風潮が出ているのではないかと感じるようになったのです。

最近は誰が該当するのかなと思っているところです。

ただ,中継ぎの地位が確立されてきている近年,「8回最強説」があるのではないかと思うのです。

今回は,それについて考えてみたいなと思います。

それでは,よろしくお願い致します。


まず,セットアッパーという地位が本格的になってきたのは,いつごろからでしょうか?

80年代までは,セットアッパーという言葉すらあったでしょうか?

江夏豊をはじめとして,抑えのエースとしてクローザーが定着はしてきました。

ただ,そこまでリリーフ投手でつなげていくという意識は,まだ薄弱だったと思います。

「先発は完投が美徳」という意識が,まだ残っていたのが80年代だったと思います。


それが90年代に入ると,セットアッパーと呼ばれる中継ぎエースが徐々に出てきたのではないかと思います。

ベイスターズで,盛田幸妃が8回を抑えて,9回は佐々木主浩というリレーができました。

96年から「最優秀中継ぎ賞」というものができました。

ホールドにも注目が集まってきたと思います。

この辺りで,8回を抑える投手が勝利には必要かというのが生まれてきたのではないかと思います。


そして,2000年代です。

2005年から,セとパで「最優秀中継ぎ賞」の中身が統一されました。

現在のホールドポイント(HP)の数で決まるようになったのです。

奇しくも,この年から2つのチームによって中継ぎに対する価値観は,大きく変わり始めたと思います。

この年優勝した阪神の「JFK」と,同じく優勝・日本一になったロッテの「YFK」です。

「JFK」とは,ジェフ・ウィリアムス,藤川球児,久保田智之の頭文字から取ったものです。

この年は,7回ウィリアムス,8回球児,そして9回久保田で抑えて,阪神の勝利を呼びこんでいました。

8回だけでなく,7回までも盤石なリリーフのリレーができていたのです。

一方「YFK」とは,薮田安彦,藤田宗一,小林雅英の頭文字から取ったものです。

少々順番が違いますけど,7回藤田,8回薮田,9回雅英のリレーが盤石でした。


私が思うに,ここから8回を抑えるセットアッパーは必須で,7回をきっちり抑える投手も勝利には必要という考え方が出てきたのではないでしょうか。

つまりは,「セットアッパー1人は勝利に必須」というのが確立されたのが,2005年ごろではないかと思うのです。

さらには,7回も1イニングをガッツリ任せられる存在も必要となってきたのではないでしょうか?

その考えは,球界で定着してきたと思います。

06年の日ハムは,岡島秀樹,武田久,MICHEALで「TOM」といわれました。

2010年のホークスは,攝津正,ブライアン・ファルケンボーグ,馬原孝浩で「SBM(ソフトバンクモバイルとかけている)」といわれました。

同じころの中日は,高橋聡文,浅尾拓也,岩瀬仁紀と7回からのリレーが確立されていました。

12年の巨人は,スコット・マシソン,山口鉄也,西村健太朗で「スコット鉄太朗」と呼ばれました。


以上のように,近年勝っているチームには,こうして7回からの中継ぎリレーが確立されていることが出てきているのです。

中には,岡田彰布のように,どんなチームでも7回からリレーを確立していくことを意識している監督もいます。

これは近年の日本で,先発投手にて「クオリティ・スタート(QS)」と呼ばれる指標が使われています

「6イニング以上投げて3失点以内」という基準があります。

ここまで達すれば,先発投手は「十分いい仕事をした」というようになるのです。

そこまで勝っている展開を持って行けば,あとは7回からのリリーフリレーで勝利を決めることができます

このように,先発投手で「QS」という指標が使われるようになったのも,7回からのリレー確率の重要性を固めているのかもしれません。


その中で,どうも気になることがあるのです。

それは,9回を投げるクローザーよりも,8回を投げるセットアッパーの方を,すごい投手を持ってきているのではないかということです。

そこから,「8回最強説」ではないかと思うようになったのです。


例えば,2005年の「JFK」です。

それぞれの防御率はどのようなものだったのでしょうか?

ウィリアムスが2.11,球児が1.36,久保田が2.12でした。

チーム最多登板にもかかわらず,球児が最も防御率がいいのです。

つまり,最強」といわれている投手が,9回ではなく8回に投げていたのです。

実際当時,「藤川を抑えにすべきでしょ」という考えの人はいました。

それでも,最も防御率がよかった球児が8回を投げていたのです。


この事例,他にもあるのです。

10年の「SBM」でのそれぞれの防御率,攝津は2.30,ファルケンボーグが1.02,馬原が1.63でした。

クローザーの馬原の防御率も驚異的ですけど,ファルケンボーグが「最強」となっていたのです。

11年の中日では,浅尾が0.41で,岩瀬が1.48でした。

クローザーよりもセットアッパーの方が,脅威の防御率を出していたのです。

浅尾はこの年,中継ぎで初めてセリーグMVPに選ばれたのです。

13年の「スコット鉄太朗」では,マシソンが1.03,山口が1.22,西村が1.13でした。

3人とも驚異的ですけど,セットアッパーでもかなりの防御率を記録したのです。


以上のように,「最強」といわれる投手が必ずしも9回にいるとは限らないのです。

一昔前である90年代で,佐々木や高津臣吾のような絶対的なクローザーが注目されていました。

特に佐々木の98年は,防御率0.64で45セーブを記録しました。

セーブ王に輝き,セリーグMVPにも選ばれました。

そのこともあり,90年代はクローザーが注目されていたのかもしれません。

実際,98年にベイスターズを優勝に導いた権藤博は,「クローザーから固定する」と考えています。

17年のWBCでも,クローザーとして牧田和久を選んだところから投手陣を整えました。

これについて詳しくは,「監督のバックボーン 権藤博編」をクリックしてご覧ください。


それが2000年代に入ると,「最強」を据えるのは9回ではないとなっているのかもしれません。

もち,クローザーが確立されての話ではあります。

8回をどんだけ抑えても,9回を打たれたら勝利にはなりませんからね。

ただ,それを前提だとしても,「最強」を据えるのは8回がいいのかもしれません。


それでは,この説にどのような根拠や理由があるのでしょうか?

一番は,「8回で相手を戦意喪失させたうえで,クローザーにつなげる」ということかなと思います。

8回の段階では,相手にとってはまだ2イニングあるという状態です。

つまり,同点になる,逆転するチャンスは2回あるということになります。

それが9回になると,最後のチャンスとなってしまいます。

この2つの状態の相手の心理は,ずいぶん違うのではないかと思います。

チャンスが2回あるのと,1回のみという状態では,やはり後者の方が追いつめられると思います。

抑える方からすれば,抑えるのが困難なのは8回の方なのかもしれません。

そこで,そこに「最強」を持ってくるのです。

相手のチャンスを2回から1回にするということなのです。

「チャンスはあと2回ある」と思っているところを,ビシッと抑えるのです。

そうすれば,相手は「あとチャンスは1回だけや・・・」という心理になると思います。

このようにして,相手を「戦意喪失」に近い状態にするのです。

その上で,クローザーにとどめを刺してもらうのです。


つまりは,クローザーをより活かすには,8回をビシッと締める必要があるのです。

そして,相手からすれば,心理的に8回の方が余裕があると思います。

そこで,8回に「最強投手」を持ってきて,確実に抑えるのです。

8回を「最強」によって確実に抑えて,相手の余裕をなくして,戦意喪失に近い状態に持って行きます。

そこまでもってこれば,クローザーは抑えやすくなるのではないでしょうか?

これが,私の中で「8回最強説」と考える根拠です。


では,より相手に余裕があるであろう7回に「最強説」は当てはまらないのでしょうか?

恐らくですけど,「チャンスはあと3回」と「2回」とでは,心理的にそんなに大きな差はないのではないかと思います。

「2回」と「ラスト1回」となれば,大きな差が生まれるのではないかと思います。

私は心理学を専攻したわけでもないので,これが妥当かは分かりません。

ただ,やはり「あと1回」というのは,かなり緊張したり,余裕をなくすと思います。

その展開に持って行き,クローザーにつなげるのが,セットアッパーの役目なのかもしれません。


以上,私なりに考えてみた「8回最強説」というものでした。

では,2020年現在で,この「説」を採用しているチームはあるのでしょうか?

今季は状況が例年と違うこともあり,主力選手の不調が相次いでいます。

その為,クローザーもセットアッパーもなかなか固定できないチームもあるのです。

その中で,8回に「最強」を据えているとすれば,日ハムの宮西尚生ではないかと思います。

クローザーがチーム事情によって変わっても,セットアッパーが変わってないのです。

セットアッパーをここまで長く続ける存在として,宮西が君臨しているのです。

全く地位が変わってないという点からすれば,宮西は「最強」と言っていいのかもしれません。

防御率も安定的ですし,ルーキーから12年間50試合以上投げているのです。

長い年月をかけて培われた「最強」という事例ではないかと思うのです。


最近のことで言いますと,昨年のプレミア12でも「8回最強説」が当てはまるのではないでしょうか?

まず,クローザーには山崎康晃が入っていました。

これはもう,ベイでルーキーからクローザーを務めており,最も経験値のあるという点で選んだのだと思います。

そこへつなぐセットアッパーは誰が務めていたでしょうか?

7回はルーキー甲斐野央,8回は最優秀防御率となった山本由伸が投げていたのです。

つまり,先発で最も抑えていた投手に,セットアッパーを託していたのです。

もち,18年にセットアッパーとして定着していたという経験もありました。

それでも,通常セットアッパーを務めている選手ではなく,経験はあるものの先発を務めていた由伸に8回を託していたのです。

前年の防御率は1.95と,唯一の1点台が由伸でした。

松井裕樹や森原康平の辞退があったとはいえ,やはり「8番最強説」として由伸を選んだということでしょうか?


以上,私なりに考えてみた「8番最強説」でした。

もち,この「説」を取り入れるには,後ろにクローザーを据える必要があります。

そして,8回を託されるプレッシャーと,9回を託されるプレッシャーは同じではないと思います。

8回は「まだ後がある」というのに対して,9回は最後の砦として託されるのです。

どちらが楽かというのはないと思います。

少なくとも,セットアッパーで絶対的な存在になっても,クローザーで同じように抑えられるとは限らないということです。

中には,岩瀬や球児のように,両方で圧倒的な存在感を見せていた選手もいます。

宮西だって,実力だけで考えると9回も抑えることはできると思います。

ただ,これまで培ってきたルーティンを変えることや,今までと違うプレッシャーを感じ続けなければなりません。

そのような要素が絡むと,実力通りに9回も抑えられるとは限らないのです。


要は,セットアッパーに向いているのか,クローザーにふさわしいのかという「適材適所」ですね。

これを見誤るケースは多くあると思います。

「8回を抑えられるのなら,9回も抑えられるでしょ」とTVゲームと同様に安易に考える監督もいると思います。

現実世界では,そうはいかないと思います。

現在は中継ぎでも億を稼げる事態になりました。

その為,セットアッパーから動かさなくてもいいような環境になってきたと思います。

現に,ファルケンボーグやマシソンのように,外国人をセットアッパーにする事例も出てきました。

間違いなく,8回の重要性は多くの野球人に認知されていると思います。


その中で,リリーフにおいてどこに「最強」を据えていくのでしょうか?

そして,その選手をどのように評価していくのでしょうか?

「8回最強説」は,今の野球界までの価値観の変化をまとめたものなのかもしれません。


皆さんのリリーフ投手について考えるきっかけになればいいと願っています。



最後までご覧いただき,ありがとうございます。

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それでは,またのお越しをお待ちしております。


皆さんに,新たな発見が見つかりますように・・・ ・・・。

『野村克也からの手紙』を読んで その3

今回も,『野村克也からの手紙』を読んで感じたことを書いてみます。


それでは,よろしくお願い致します。


今回は,引退してから指導者など球界にあまり関わっていない「個性派たち」にあてたものです。


江本孟紀・・・プロ1年で移籍し,ノムさんによってエースに

 プロ1年目を終えて,すぐに移籍となったケースがあるでしょうか?最近では,巨人の奥村展征のヤクルト行きや,ベイの尾仲祐哉の阪神行きがありました。いずれもFA補償による移籍です。1年目で移籍というのは,ほとんどないのかなと思います。
 江本は,1970年に東映フライヤーズにドラフト外で入団します。1年目は敗戦処理を中心に投げていました。しかし,制球力に難のある投手で主力になり切れてなかったのです。1年目を終えると,トレードでノムさん率いる南海ホークスに移籍するのです。
 東映の田宮謙二郎監督からトレードの話が来た時に,ノムさんは身長の高い江本を思い浮かびました。投手が足りないということで,江本を指名して獲得したのです。
 江本が南海に来て,ノムさんは衝撃的な言葉をかけます。「お前の球は,俺が受けたら間違いなく2桁勝つ。お前はもうエースだから,この番号を着けとけ」と「16」を渡したのです。江本は自尊心をくすぶられ,「電気が走った」と語っています。
 江本はこの言葉から奮起し,移籍1年目に16勝と本当にエース級になったのです。73年のプレーオフ第5戦では,胴上げ投手になったのです。この時は前々日に完投しているにも関わらず,代打の切り札・高井保弘(代打本塁打27本は世界記録)を抑えるのにノムさんが江本を指名したのです。高井を三振に切った江本は,ノムさんと抱き合ったのです。
 ノムさんは江本,江夏,門田のことを「南海の三悪人」と表現します。この3人に人の操縦術を相当鍛えられたと,生前語っていました。3人は不真面目ではなく,自尊心がすごく強いが故に誤解されやすいのです。練習や野球に対する姿勢も,ノムさんが認めるものなのです。
 江本は当時長髪で,ファンからもいい言葉を聞きませんでした。ノムさんが「切ってこい」と命じても,「髪と野球は,何の関係があるんですか?」と突っぱねました。何とか髪について説いて,最後は「女の子のように伸ばしてみろ」と言ったら,しぶしぶ切ったとのことです。
 江本はその後阪神でプレーし,舌禍事件で引退したのです。その後は球界で指導することはほとんどなく,国会議員や解説者として活躍しています。歯に衣着せぬ発言で,球界にモノ申しています。
 江本に対しての締めは,『「コップに残った水」をどう捉えるかは自分次第』です。江本は私生活では,酒も煙草も嗜まないのです。それでも60歳で糖尿病になり,17年に胃がんの手術をしたと告白しています。ノムさんが亡くなった今,江本は残りの人生をどう捉えているのでしょうか?
 江本は今年で73歳となります。残りの人生をコップの水に例えて,「もう,これしか残ってない」なのか,「まだ,こんなに残っているのか」と捉えるのか・・・ノムさんは後者だと語っています。
 出身の高知ファイティングドッグス,タイ王国ナショナルベースボールチームの総監督を務めています。大病を経験した江本は,これから球界で何を残していくのでしょうか?どのような言葉を残していくのでしょうか?私としては,江本の語るものに頷けるものもあります。


門田博光・・・「もっと振り回さんかい」で,頑固な「クソ努力家」を操縦

 皆さんは,NPB歴代本塁打ランキングのトップ5を答えることができるでしょうか?1位は言わずもがな王貞治,2位は先日亡くなったノムさん,3位は誰でしょうか?答えは門田博光です。知らないのも無理はないかもしれません。引退してから,指導者など表立った活動をしてないからです。
 門田は1969年にドラフト2位で南海に入団します。2年目で「3割30本塁打100打点」を達成し,早くも打点王に輝いたのです。ノムさんもその才能を認めていました。身長170センチと小柄な体をカバーするために,人一倍努力することで主力になったのです。
 しかし,その反骨心があまりにも強すぎるのか,ノムさんの言うことを聞かないのです。ノムさんは門田を中距離打者と見ていましたが,本人は「ホームランの打ち損じがヒット」と振りまくるのです。「大振りをやめろ」とノムさんが言っても,余計に振り回すのです。
 そこで,ある年のOP戦に,ノムさんは門田を連れて王のところへ行きました。「ワンちゃんは,いつもホームランを狙っているの?」とノムさんは聞きました。王は「それは違う。自分の持っているものを出して,結果は神様に委ねるのだよ」と語ります。これでいうことを聞くかと思いきや,門田は「ノムさんはずるい。口裏を合わせた」と言います。もう,これには匙を投げようかと思っていたとノムさんは語ります。
 そこでノムさんは発想を変えました。要するに門田は「右を向け」と言えば左を向き,「左を向け」と言えば右を向く。つまり,天の邪鬼ということなのです。そこで,コンパクトに振ってほしい時は,門田に「もっと振り回さんかい」と言ったのです。すると,門田はコンパクトに振るようになったのです。まさに「人を見て法を説け」です。
 ノムさんが南海を去ってから,門田はアキレス腱を断裂しました。そのため,俊足は完全に鳴りを潜めるようになったのです。「ホームランを打てば足に負担がかからない」と,本格的にホームランバッターへと変貌していくのです。88年には40歳で44本塁打を放ち,「不惑のアーチスト」と言われるようになります。そうして積み重ねたホームランは,歴代3位の567本になったのです。
 門田も決して不真面目な人間ではありません。ただ,反骨心が強い努力家である故に,自分と反対のことを言われるのに敏感だったのかもしれません。私も「努力家」かどうかは分かりませんが,そうした性格なのでわかる気もします。悪く言えば聞く耳を持たないのですが,そうした反骨心による努力が567本塁打という結果に至ったのかもしれません。
 門田に対する締めは,「たまには別の道を行くのも,いいものだ」です。門田はまさに,「ゴーイング・マイ・ウェイ」の人です。その性格が故に,指導者として声がかからなかったのかもしれません。確かな技術を持っているだけに,それを世の中に還元してほしいとノムさんは思っていたのです。
 ノムさんが亡くなった後に,門田は「自分のフォームは野村さんを参考にしていた」と語ります。そして,ノムさんから学んだものは多くあるとも語ります。「野村さんは僕の最高の手本」とまで言いました。大の照れ屋だからでしょうか,亡くなってからこのことをしゃべったのかもしれません。「門田は,今でも門田や」と,あの世でノムさんは思っていると想像しています。


江夏豊・・・「野村再生工場」で「革命児」に

 「革命」という言葉に何かを感じる人が,今の日本にどれだけいるでしょうか?ノムさんがそのように言って,本当に革命を起こしたというのが江夏です。「野村再生工場」の第1号と言ってもいいかもしれません。
 江夏が南海に来たのは1976年のことです。阪神に深い愛情を感じていた江夏は,「阪神を出るくらいならユニフォームを脱ぐ」とまで言います。江夏の能力を評価していたノムさんは,直接出向いて口説こうとします。
 ただし,自尊心の強い江夏に「南海に来い」は反発を招くだけです。そこで,野球談議から入ったのです。ノムさんはあるシーンのことを尋ねると,江夏は「何でわかったんですか?」と話が始まったのです。そして帰り際に,「一度でいいからお前の球を受けてみたい。江夏が投げて,野村が受ける。これは芸術になるぞ」と言いました。その後,江夏のトレードが発表されたのです。
 しかし,その時の江夏は血行障害を持っていました。50球投げれば,握力が赤ん坊くらいになるのです。これでは先発は無理と見たノムさんは,江夏にリリーフ転向を言います。それに対して江夏は,「阪神を追い出されて恥をかいたのに,さらに俺に恥をかかせる気か?」と反発します。何度言っても聞かないので,ノムさんは策を考えます。
 すると,江夏は新撰組が好きと聞くのです。そこで江夏に,「これからは先発,中継ぎ,抑えと分業制の時代が確実に来る。お前,リリーフの分野で『革命』を起こしてみろ」と言います。江夏は「『革命』かぁ・・・」と意気に感じて,「分かった,やる」とリリーフ転向を受け入れたのです。
 その後,江夏は南海時代を含めて5度のセーブ王に輝きます。抑え投手で初めてMVPになったのも江夏です。しかも,79年カープ,81年日ハムと両リーグでMVPも史上初です。「優勝請負人」と言われたこともあり,球界では抑えの重要性を認知していくようになりました。まさに,江夏が「革命児」となったのです。
 江夏も不真面目ではありません。頭脳を駆使して抑えるところもあり,その真骨頂が「江夏の21球」なのです。江夏が語ることには,私も頷けるところがあります。著書も読んだことがあります。
 ただ,阪神という甘やかされた環境に居続けたことで,わがままが加速したのかもしれません。「何で,俺みたいのが南海に・・・」というのを隠そうとしない性格なのです。
 でも,その裏側には寂しがりやがあったとノムさんは考えます。南海に入ってからノムさんと江夏は一緒に行動するようになり,野球談議にも真剣な姿勢になります。ノムさんが南海を去る時,江夏は「俺も野球をやめる」とまで言いました。ロッテに移籍が決まった時は,「俺も行く」と言ったそうです(実際は,ノムさんの下でプレーした古葉竹識率いるカープに江夏は入団)。
 江夏は本当は,心の底から信用できる人が欲しかったのかもしれません。野球談議を深くできる人,自分のことを本当に思ってくれている人が,阪神時代には誰もいなかったのかもしれません。それで自尊心が強いから,「寂しい」と言えない。そこにノムさんが現れたのです。
 ノムさんはある試合で,江夏が八百長をしているのではと感じたのです。かつて「黒い霧事件」で関与したのではということがあり,ノムさんは帰りの車で江夏に強く問いました。江夏は「絶対にやっていない」と答え,ノムさんは「分かった」といった上でこう言いました。
 「人間,一度信頼をなくしたら,その信頼を取り戻すのには時間がかかる。口で何べん言ったって,だれも信じない。お真のその信頼を取り戻すのは,マウンドしかないんだぞ」。江夏はそれを聞いて,「そんなことを言ってくれるのは,あんただけや」と言いました。不良が本音を抱えるように,本当はそう叱ってほしかったのかもしれません。
 江夏に対する締めは,「信は万物の基を成す」です。人間として生きる上で,信用と信頼は欠かせないものです。それを失われた人は,それを取り戻すところから始めなければならないのです。「信」で人間界は成り立っているのです。
 江夏は93年に覚醒剤所持と使用で逮捕されました。この時情状証人として出廷したのが,ノムさんと江本でした。服役を終えてからの行動で,江夏は今に至っていると思います。殿堂入りは難しいですが,野球界に関わることはできています。
 一度「信」を失った江夏は,今ノムさんの言葉をどう受け止めているのでしょうか?最近の薬の逮捕に何を思っているのでしょうか?これから自分ができることを,どう考えているのでしょうか?
 もしかしたら,ノムさんは清原和博と何か会う機会があれば,江夏に言ったことと同じことを言いたかったのかもしれません。「信は万物の基を成す」,非常に尊い言葉にも感じるものです。


古田敦也・・・「ID野球の申し子」と,本人も師匠も本当に思っていたのかな?

 今の球界には,誰もが認める「師弟関係」がなかなかいないものです。仰木彬とイチロー,長嶋茂雄と松井秀喜と「恩師」の存在を認める野球人もいます。ノムさんが亡くなったときも,様々な野球人が「恩」と語っていました。ただ,この人の口からノムさんに対して「恩」という言葉が出たことがあるでしょうか?それが古田なのです。
 ノムさんがヤクルトの監督に就任した1989年ドラフト2位で,古田は入団します。ノムさんは古田の送球やキャッチング能力,気づく能力に目をつけました。1年目の途中から,「『8番キャッチャー』の座をお前にやる。打率は2割5分でいいから,あとは配球を徹底的に勉強しろ」と古田を積極的に起用しました。
 その後はTVでもよく見かけるマンツーマン指導のスタートです。配球の根拠を徹底的に問い,「何となく」と答えるのなら公開説教です。ノムさんの持論の中に,「キャッチャーを育成出来れば,チーム作りのほとんどは完成する」というのがあります。その上で,古田を指定強化選手と定めたのです。
 古田のその後の功績は言うまでもなく,ヤクルト黄金時代に欠かせない「日本一のキャッチャー」になりました。ただし,ノムさんの言うことをアレンジする力も古田は持っていました。ノムさんから学んだ配球を打撃に活かし,「狙い打ち」の精度を高めていったのです。思いっきりのいい打撃をして,2年目にはノムさんに続いて2人目となる捕手で首位打者となったのです。ここをノムさんは「あいつのすごいところ」と語ります。
 こうした能力を持っていることで,ノムさんは「いい指導者になる。監督としても楽しみ」と考えていました。しかし,2006年に選手兼任監督になって,2年間務めただけです。そのやり方は,ノムさんをガッカリさせるものだったのです。引退後,古田は解説者やタレントとして活躍しています。
 ノムさんが思うに,自分は捕手型の性格と言います。「功は人に譲れ」と甲斐拓也にも説いたように,自分の手柄を誇示しないということです。まぁ,これだけ多くの本を出版していろいろ言っていることから,本当は「俺を見ろ」と自己顕示欲が強いと思いますけど。野球ではそれを必死に抑えているのかもしれません。
 対して古田は,捕手だけど性格はピッチャーとノムさんは考えています。目立ちたがり屋で,自分が中心という姿勢。「俺から野球は始まるんだ」と捕手で思っているということではないでしょうか。ノムさんが「生涯一捕手」と座右の銘にしているのに対して,古田は「もう一度生まれ変わったら,キャッチャー以外をやりたい」と語っています。ここに性格の違いが表れているのかもしれません。
 TV出演する時も,大概古田は主役の方に位置付けられています。監督よりも,解説者やタレントの方に向いているのかもしれません。それでも,監督を熱望しているファンは非常に多くも感じます。果たして,今後古田にその機会が来るのでしょうか?
 古田に対する締めの言葉は,「人はジャンプするとき,いっぺんヒザを曲げ,体を沈み込ませる」です。ノムさんが思うに,古田に足りないのは「謙虚さ,柔軟さ」なのです。そのバネがないから,ジャンプできないのではと本書では語っています。
 古田は天才型で,努力型ではないとノムさんは語ります。だから解説もどこかズレていて,「”目のつけどころ”が分からない」というのです。古田は古田なりに努力しているはずですが,何かが違うのです。「恩師」と言わないという,感謝の気持ちが欠如していることなのでしょうか?
 今生きていて,自分に足りないものを聞かれると古田は何を答えるのでしょうか?古田が球界に再び何かをもたらす道は,何があるのでしょうか?「戦う選手会長」というものを見せただけに,生きている内はずっと注目されると思います。その突破口は,「恩返し」にあるのではないかと私は思っているのです。


新庄剛志・・・「宇宙人」を存分に発揮させたのは,「人を見て法を説け」

 「宇宙人はいると思う?」という質問に対して,皆さんはどのように答えますか?本当に地球以外に生命体がいるのかどうかは分かりません。しかし,常人が理解不能なことを考える人のことを「宇宙人」と表現されます。今の球界にもいますが,私が見た中で第1号は新庄になりますね。
 ノムさんが阪神の監督になり,選手たちを見ました。新庄が考えることが苦手というのは,すぐに分かりました。発言は全てプラス思考のものばかり。「自信家」を超えて「過信家」というものである。この性格には,押し付けても逆効果である。そこでノムさんは,「豚もおだてれば木に登る」ということで新庄と接したのです。
 「どこをやってみたい?」と聞いて,「ピッチャーです」と答えればさせました。OP戦で本当に新庄をマウンドに上げたのです。当時の阪神に投手が少なかったというのもあります。しかしノムさんには,新庄に投手目線で自分を見ることや,下半身の使い方を学んでほしいという意図もあったのです。
 「何番を打ちたい?」と聞いて,「そりゃ,4番ですよ」と答えれば「じゃあ,打たせてやる」と本当に4番にします。ただ,当時の阪神がまともな外国人を連れてこなかったという事情もありますけど。
 これらが功を奏したのか,2000年には自己最高の成績を残したのです。どう考えても合わなさそうな2人が,ここまでの関係になると予想できた人がいたのでしょうか?今思っても,不思議なものです。
 その成績を持って翌年からメジャーリーガーになりました。アメリカでも打つ活躍を見せているので,本当に人間って分からないものだと思うのです。
 04年から日ハムに来ると,「これからはパリーグです」と札幌ドームを観客で一杯にする宣言をするのです。すると,本当にそれを実現し,ラストイヤーの06年には優勝・日本一に導いたのです。「新庄劇場」でファンサービスを徹底的に行い,「エンジョイ・ベースボール」というものを見せたのです。
 自分にはスター性があり,それを活かすべきだと新庄が自覚したからの行動ではないかと思います。新庄が影響を与えた人は,稲葉篤紀,ダルビッシュ有,森本稀哲など数多くいます。
 引退後に,ノムさんとのちょっとした関係を新庄は語ったことがあります。ノムさんが06年から楽天の監督に就任した時,新庄はノムさんに「パリーグを盛り上げるために,言い合いをしましょう」と提案したのです。そうすることで,お互いに会見でいろいろ言ってきたのです。お互いに球界を盛り上げる意識があっただけに,本当に馬が合っていたものなんだねと感じるエピソードです。
 新庄に対する締めは,「あとはもう少し,努力してもよかったな」です。新庄の決断の軸は「カッコいいかどうか」です。完全なる天才型の性格です。そんな新庄にノムさんは「人間としての考え方を学んだ方がいい」と本書で語っています。
 今の新庄は,これといって何かを続けている感じではないです。TV出演を続けているわけでもなく,バリ島に移住したとのことです。様々なことにチャレンジしていますが,一体どのようにして生計を立てているのかわからないままです。今年は現役復帰を宣言しました。引退しても,新庄は「宇宙人」のままですね。
 今は何に努力しているのか分かりませんが,新庄は走・攻・守全てにおいて一級品の素質を持っていました。もう少し努力すれば,とんでもない選手になっていたとノムさんは語っています。その考えが妥当かどうか,「宇宙人」には分かりませんなぁ。
 それでも,私は新庄が実はとんでもない感性の持ち主でもあると思っています。稀哲に対する考え方や,ノムさんと共に野球界に貢献する行動をしたこと。他には真似できない妥当な行動も,「宇宙人」だから思いつくのかもしれません。
 新庄はノムさんが亡くなった時,自分のInstagramでメッセージを残しました。その最後の文を抜粋します。「野村克也という人間に野球人生の終了は1%も無い 俺がそっちに行ったら叩き起こすんでそれまでゆっくり寝ててください(>_<) 本当に笑顔で有り難うございました(^^)また会う日まで野村克也監督」。やっぱり,新庄ですね。


以上,「個性派たちへ」の手紙から感じたことでした。

それでは,またよろしくお願い致します。



開幕はいつか来ると信じて,読んで頂いた皆さんの何かの足しになればと願っています。

最後までご覧いただき,ありがとうございます。

ご意見ございましたら,是非当ブログでもツイッターでもコメントお待ちしております。

ツイッターのフォローもよろしくお願い致します。


それでは,またのお越しをお待ちしております。


皆さんに,新たな発見が見つかりますように・・・ ・・・。

野村克也からの手紙 ~野球と人生がわかる二十一通~
野村 克也
ベースボール・マガジン社
2018-06-19


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