求究道(ぐきゅうどう)のプロ野球講義

プロ野球について,私が聴いて,観て,感じて,発見したことを基に,新たな考えを発信していきます。 皆さんの新たな発見につながることを祈ります。 「求めるものを究める道」がペンネームです。 よろしくお願い致します。

小久保裕紀

プロ野球ついて,私が観て,聴いて,感じたことを基に,新たな考えを発信していきます。
皆さんの新たな発見につながることを祈ります。
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どちらもよろしくお願い致します。

2024年シーズンの展望 福岡ソフトバンクホークス前編

今回も,各チームにおける2024年シーズンの展望を書きます。

今回は,福岡ソフトバンクホークスの前編です。

ここまで昨季の下位チームについて書いてきました。

ここからは,昨季CSに進出した上位チームについてです。

それでは,最後までよろしくお願い致します。


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 昨季は何十億円もかけて大型補強したにもかかわらず,3位とホームでのCS開催すらできない成績に終わった福岡ソフトバンク。ファンの批判は激しくなり,オフに藤本博史監督が辞任となりました。新たに二軍監督を務めていた小久保裕紀が就任し,今度こそ優勝を狙いに行きます。
 首脳陣で新顔も出ました。ヘッドコーチには,小久保が侍ジャパンの監督を務めていた時もヘッドとして支えた奈良原が就任しました。青学の先輩後輩コンビが再びタッグを組み,今度はチーム再建に挑むのです。
 また,一軍投手コーチ(チーフ)兼コーディネーターとして倉野が復帰しました。二軍では投手チーフコーチに小笠原と,ホークスと縁もゆかりもない人を連れてきたのです。
 他にも三軍投手コーチで牧田和久,四軍投手チーフコーチで川越と,これまたホークスと縁もゆかりもない野球人が来たのです。四軍外野守備走塁コーチはOBの釜元,リハビリ担当コーチ(野手)はホークスでもプレーした中谷,コーディネーター(野手統括兼守備走塁)には荒金がそれぞれ現場復帰しました。
 ホークスは昨季から新たに四軍を設置しました。一軍監督小久保,二軍監督松山,三軍監督小川,四軍監督は和巳と,小川以外はそれぞれ配置転換を行ったのです。他も様々な配置転換を行い,新たな体制で挑むことになったのです。
 新顔で注目できるのは,ホークスと縁もゆかりもない野球人がそれなりに来たということです。奈良原は侍ジャパン時代に小久保と共に戦ったものの,他は全然関係性がないメンバーなのです。これは新風を取り入れるためのものなのでしょうか?あとはホークスOBで固められた首脳陣と馴染めるかですね。
 小久保は逆風が吹く中での監督就任となります。「あれだけ補強したのに勝てないのかよ…」など,ホークスのフロントを中心に厳しい声が出ています。新監督に希望を持つ声もあると思いますけど,小久保に勝つことを求めらるのは変わらないのです。
 今季も大きな補強をして,オフにはそのことでゴタゴタがありました。それもまた,ホークスに対する逆風だと思います。戦力的な点で見ますと,小久保に対して「1年目は様子見」という雰囲気ではないのです。早くも優勝を求められるような空気もあると思うのです。
 ある意味,小久保には「勝ちながらチーム改革」ということを求められるのです。無理難題なのかもしれませんけど,様々な点からそう思われても仕方ないのです。こうしたことを含めて,「逆風の中での監督就任」だと思うのです。
 あとは,選手や首脳陣がどれだけ小久保の言葉を受け止められるかです。確かにここ最近は優勝から離れているものの,最下位にはなってないのです。昨季は3位,一昨年は2位とそれなりに勝っているだけに,小久保が抜本的な改革やそのための言葉を出したときに受け止められるのでしょうか?
 最下位になれば,選手たちは嫌でも真逆の采配や方針でも受け止めざるを得ないと思います。「変わらなければ」と誰もが思うからです。しかしそれなりに勝っている中で真逆のことをされると,素直に受け止められない可能性もあるのです。この点でも,小久保にとって逆風なのかもしれないのです。
 以上のように,今のチームの雰囲気や近年の成績などの点で,小久保は逆風の中で監督に就任したと言えるのです。その中でチームを変えるとなれば,どれだけ首脳陣や選手に納得させるだけの言葉や姿勢を用意できるかです。読書家の小久保は,果たしてどれだけその準備をしていたのでしょうか?
 すべては,チームの雰囲気を変えることから始まると思います。1年目でそこを誤ると,以降修正するのは困難になると思うのです。「1年目が肝心」ということになりますね。
 なお,小久保について詳しくは以下のリンクをクリックしてご覧ください。



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 まずは昨季の打撃成績をご覧ください。hd

 昨季はリーグトップの得点は維持できたものの,数字自体は下がっているのです。そのため,チームの順位は下がったということにつながったと思うのです。少なくとも,投手陣をカバーしきれる打線にはなってないと言えますね。
 打撃力改善のために,山川とウォーカーを獲得しました。特に昨季は外国人が悉くダメだったので,巨人で2年プレーしていたウォーカーの獲得は大きいと思うのです。リーグが変わることや固定的に起用されることで,打撃力の本領発揮に至るのでしょうか?
 ただし,最大の課題は誰が打線の中心になるのか,するのかです。昨季本塁打と打点王の二冠に輝いた近藤,近藤に次ぐ打点を稼いだギータ,かつてのホームラン王の山川,巨人でホームランを稼いだウォーカーと集まりました。この中の誰を中心にした打順を組むのかということなのです。
 例えば近藤を中心にする打線にするのなら,他は近藤に打点を稼いでもらうように配置しないといけません。同じ左打のギータを後ろに配置する,近藤の前は出塁や進塁を積極的に行える選手で固定する。下位打線の中心は誰になるのか?誰かを基準に定めることができると,他の配置は自ずと見えてくると思うのです。
 昨季はギータが打線の中心に見えましたけど,実際二冠王になったのは近藤です。その近藤も本塁打で30,打点で100を超えてないのです。すなわち,中心選手を活かし切れないまま終わったということなのです。得点はリーグトップになったものの,決して効率よく点を取れたとは言い切れないと思うのです。
 下位打線に厚みを増すため,近藤やギータをさらに活かすために,山川やウォーカーを獲得したはずです。しかし,これでそれぞれが打つことだけしか見えず,打線になっていなければ思うほど得点力は上がらないと思うのです。1つ例を挙げるなら,この中から100打点が誰もいないという感じですね。
 首脳陣は誰を打線の中心にして,そこからどのように他のメンバーを配置するのか?どの形が一番効率よく打点を稼ぐことができるのか?そこを正しく見極めなければ,どんな選手を獲得しても宝の持ち腐れにしかならないのです。
 補強とは,字の通り「補って強くする」と書きます。獲得だけではイコール「補強」にならないのです。そのことを選手も首脳陣も理解しているのか?獲得を実行した今,その姿勢が問われるところだと思うのです。


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 まずは昨季の守備成績をご覧ください。pa6

 昨季は守備率の改善に成功し,リーグトップになりました。ただ,併殺の数が減っていることから,内野を中心に連携が崩れてきたとも言えそうです。確実性を維持しつつ,連携アップを狙いたいところです。
 メンバーで言いますと,決定的なのはキャッチャー甲斐,ショート今宮,外野で近藤と言ったところでしょうか?内野の固定が今一つだったから,併殺の数が減ったと考えられます。
 まず一番最初に考えるべきはDHを誰にするかです。近藤やギータも昨季はDHを務めていた中,今季から山川とウォーカーが入ってきました。恐らくウォーカーが主にDHを務めると思いますけど,そうなりますとファースト山川,外野で近藤とギータということになります。こうなりますと,2つの懸念点が発生します。
 まず1つ目は,ファーストでGG賞を獲った晃がどうなるかです。山川が加入したとなれば,晃は守備固めでしかファーストを守らないと思います。外野に入る手もありますけど,近藤,ギータ,晃と30代に入ったトリオで守備力を賄えるのでしょうか?さらに,近年の晃の打撃成績では,ファーストの守備力以外で起用する意義があまりないのです。
 こうなりますと,晃はベンチが主ということになります。長くスタメンを張り続けただけに,素直にベンチに入れるかどうか分からないのです。そこを首脳陣がどう説得するのでしょうか?また,晃がファーストのスタメンから外れることで,守備力が変わることも気になるのです。
 2つ目は,近藤とギータが確定的となれば,残すはセンターということになります。周東などが候補だと思いますけど,果たして2人の守備をカバーすることができるのでしょうか?特にギータは30代後半に入ってきたこともあり,段々と守りがかつてほどではない感じもします。その影響がどれだけ出るのでしょうか?
 残すはセカンドとサードですけど,有力なのはセカンドが牧原大か三森,サードが栗原だと思います。そのままセカンド牧原大,サード栗原で突き通せば理想的だとは思います。栗原が昨季故障したこともあり,サードは途中で迷走しました。セカンドも牧原大が故障したことで,その後はレギュラー不在という感じだったのです。
 今季は,ある程度全体的に固められるだけのメンツは揃ったと思います。キャッチャーからDHまで,もうずっと同じメンバーでいいくらいではないかと思うくらいです。一方で,それ以外の選手との差が大きいため,誰か1人でも故障すると影響が大きいと思うのです。そこに対して,首脳陣がどう準備するでしょうか?
 全体的にメンバーが固めて戦えば,守備力も自ずと改善できると思います。そうすれば,本当に隙のないチームになるかもしれません。ここまで集まれば,もうどっしり構えて戦ってもいいはずです。首脳陣はどう起用するのでしょうか?


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 今のところベンチで固定的になりそうなのは,代走と守備固めで三森ですね。あらゆるところを守ることができ,代走で盗塁もしっかり稼いでいます。順調にいけば,今季も一軍帯同なのは間違いないです。
 そこに柳町と川瀬が続く形になるかと思います。山川の加入でベンチ中心になりそうな晃が加われば,ベンチの層は相当厚くなるかと思うのです。守備固めにおいては,隙が無いと言っていいのではないでしょうか?
 あとは,周東と牧原大はそろそろベンチから卒業してもいいかと思うのです。年間出場を続ける体力があれば,2人ともスタメンを張っていけるはずです。それだけの実力は,もう証明していると思います。たまに今あげた三森,柳町,川瀬,晃が出場する感じになるでしょうか?
 ただ,ここに挙げた選手とそれ以外では大きな差があるように思います。ベンチでもこのような「格差」があるということを,それ以外の選手は痛感しなければなりません。「お前たちは,ここにすら及んでないんだぞ」と自覚した選手は,まずベンチでもいいから一軍帯同を目指していくはずです。
 それができることで,ようやく次なる主力誕生に目処が立ってくるのではないでしょうか?井上,リチャード,W野村,正木と可能性を持つ選手がいるだけに,もどかしくも思ってしまうのです。まずはベンチのレギュラーを超えなければ,どうにもならないことを痛感しているかですね。
 かつては,明石健志や川島慶三といったベンチのスペシャリストが揃っていました。それを再び生み出せる可能性は整っていると思うのです。スタメンと共にベンチもしっかり固まれば,ホンマに野手はスキなしのチームになるのではないでしょうか?果たして,補強によってベンチでも功を奏する結果となるのでしょうか?


次回は,福岡ソフトバンクホークスの後編です。

それでは,またよろしくお願い致します。



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監督学 小久保裕紀編

今回は,「監督学」シリーズを書いてみます。

第45弾は,2024年シーズンから福岡ソフトバンクホークスの監督を務める小久保裕紀です。

それでは,最後までよろしくお願い致します。


まずは,小久保の簡単なプロフィールから書いてみます。

1971年10月8日,和歌山市で生まれました。

県立星林高校から青山学院大学を経て,1992年バルセロナ五輪に大学生で唯一選ばれるのです。

1993年ドラフト2位で,福岡ダイエーホークスを逆指名して入団します。

1年目から一軍出場し,78試合で6本塁打を放ちます。

2年目の95年は130全試合出場し,28本塁打で本塁打王に輝くのです。

セカンドでベストナイン,ゴールデングラブ賞も受賞し,「若きホームラン王」として名をはせるようになります。

97年も135全試合出場し,114打点で打点王に輝きます。

初めて打率3割もクリアします。

しかしオフにプロ野球脱税事件に関与したことが発覚し,故障もあり98年は17試合の出場に終わります。

99年に4番打者として返り咲き,ホークスの福岡移転初の優勝・日本一に貢献します。

2000年も31本塁打と105打点を記録し,パ・リーグ連覇に欠かせない存在になったのです。

01年は自己最高の44本塁打と123打点を記録し,名実ともにパ・リーグの顔になってきました。

ところが03年,オープン戦で全治6か月の重傷を負い,1試合も出場できずに終わりました。

すると優勝パレードの翌日,読売ジャイアンツへの無償トレードが発表されました。

巨人で迎えた04年,41本塁打を放ち,巨人の右打者で初の40本塁打超えを達成しました。

打率も.314と自己最高を記録し,第69代巨人軍4番にもなったのです。

カムバック賞も受賞しました。

05年は34本塁打を放ったものの,06年は故障もあり19本塁打に終わりました。

オフにFA宣言を行使し,福岡ソフトバンクホークスに復帰したのです。

ホークスの主力として活躍を続けて,2010年にはパ・リーグ優勝を果たしました。

11年は優勝・日本一になり,40歳1か月で日本シリーズMVPになったのです。

この年に,通算400本塁打も達成しました。

12年に通算2000本安打を達成し,オフに現役引退を表明しました。

引退後は解説者や評論家を務め,13年オフに侍ジャパンの監督に就任しました。

侍ジャパンが常設化させて,初代監督になったのです。

15年の第1回プレミア12では3位,17年WBCでは準決勝敗退という成績でした。

WBCの終了と共に,侍ジャパンの監督を退任します。

21年からホークスの一軍ヘッドとして,9年ぶりの復帰を果たします。

22年からは二軍監督を2年間務めます。

そして24年シーズンから,ホークスの一軍監督に就任します。


以上,小久保の簡単なプロフィールでした。


それでは,小久保の現役・コーチ時代に仕えていた監督を見てみます。

こちらの図表をご覧ください。
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一番長く使えていた監督は,やはり王貞治です。

他にも原辰徳や秋山幸二といった,優勝経験監督の下でもプレーしていました。

それなりの「教材」はできていると想像できます。

それでは小久保が仕えた監督にどのような思いを持っているのか書いてみます。

・根本陸夫

 小久保がホークスに入団した時の監督が根本です。根本は監督であると同時に,球団専務と実質上ゼネラルマネージャー(GM)を務めていたのです。根本は監督を2年間務めながら編成をして,後任に采配を託したのです。
 そんな根本はコーチに「小久保は大きく育てるから,あまり指導するな」と指示していたと,後に小久保は聞いたのです。育てたいのなら指導は欠かせないと思うのが普通なのに,根本は全く違う発想を持っていたのです。
 根本がそのように語った理由は分かりません。ただ,小久保の打球を大きく飛ばす天性を見たからだけではないと私は想像しています。大学の頃から自主性を育まれていると見たのか,もう歓声に近い選手と見ていたのか…そうしたところも見ていたから,根本は1年目だけど小久保の指導方針を決めいていたのかもしれないのです。
 小久保の根元に対する印象は,「何事にも動じない,腹のすわった人」です。一度決めたことに対してどっしり構えて,責任を取るという姿勢。それは小久保も見習うのではないでしょうか?

・王貞治

 その根本から監督を受け継いだのが王貞治です。言わずと知れた「世界のホームラン王」,巨人監督としても優勝の経験があります。その実績を見込み,根本が口説き落としたのです。
 そんな王と小久保が初めて会ったのは,94年オフの事です。名球会のイベントで王がハワイを訪れた時,小久保はウィンターリーグでハワイにいたのです。そのウィンターリーグの試合で,小久保は決勝ホームランを打ちました。それを王が見ていたのです。
 王は祝福のためにグラウンドまで降りると,小久保はものすごい目力に圧倒されます。そして王は,「おめでとう。見事なホームランだった。来年からともにがんばろう。期待しているぞ」と声をかけたのです。
 小久保は胸が躍り,心の中で舞い上がっていたとのことです。来季に向けた自分自身への期待を込めて,王と固い握手を交わしたと語るのです。
 そんな王を小久保は「私の師」と語ります。王監督を間近で見て,小久保は著書で学んだことを多く書いています。間違いなく,監督を務める上での一番の「教材」にすると思います。
 王政権1年目,小久保にとって2年目にホームラン王になりました。王からは「とにかく練習では楽をするな,強く振れ」と徹底的に指示されました。今日より明日,明日より明後日,一ミリでもボールを遠くに飛ばせるように。小久保はどんどんボールを遠くに飛ばすことに拘り始めるのです。
 王政権2年目,前年の5位からこの年は序盤から最下位になっていました。そして5月の近鉄戦後,怒ったファンがバスに生卵をぶつける「生卵事件」が起こったのです。「やる気がねえなら,やめちまえ」と合唱が起こるくらい,ファンは我慢できなかったのです。
 これに対して王はホテルで,「こんな成績じゃあ,ファンが起こるのも無理はない。怒ってくれるファンは本物だ。怒るのは期待の裏返しでもあるんだ。彼らを喜ばせるために前を向いてやるしかないんだ」と語りました。
 小久保はこの件で,『一番悔しいはずの監督の言葉に,「男から言い訳しない」という潔さを学びました』と語っています。同時に「必ず強いチームになってやる,見返してやると心に誓ったのです。
 それからホークスは着実に強くなり,王政権5年目の99年にパ・リーグ優勝・日本一になったのです。屈辱に耐えながら,王の信念が花開いたのです。小久保も4番打者として,優勝に大きく貢献したのです。
 翌2000年も優勝し,連覇を果たしました,この年の大阪ドームでの最終戦後,ファンに挨拶に行こうとします。しかし,かつて生卵をぶつけてきたのは,大阪のファンです。選手会長の小久保は王に,「あんなことをした大阪のファンにあいさつにいくのはやめましょう」と提案しました。
 すると王は,「小久保,こういうのはきっちりあいさつに行くもんだよ。さあ行くぞ」と言って,先に歩いたのです。その姿を見て小久保は,「でかい。なんて器の大きい人なんだろう」と,自分の器の小ささが恥ずかしくなったのです。これ以来,小久保の心の中にあった大阪のファンに対する変な気持ちは消えたとのことです。
 王は生卵をぶつけられても,大阪のファンを根に持ってなかったのです。「我々はそうするファンに怒るのではなく,拍手をもらえるようにするんだ」と,プロとしてやるべきことに徹したのです。小久保も王の姿勢から,そう学んだと思うのです。
 そんな王に小久保が叱られたことがあります。大阪ドームの監督室に呼ばれ,スポーツ新聞を広げて,小久保のコメントを指しました。大声で怒鳴りました。
 「ばかやろう。こんな発言をしたら,ファンはお前から夢を買えないだろう!」
 前日の試合で,小久保は守備でサードライナーを弾きました。試合後,新聞記者の質問に対して「俺の守備は所詮こんなもん。どうにでも書いてください」と投げやりな答えをして,そのまま記事になったのです。
 振り返ると,小久保は未熟な自分に恥ずかしくなると語ります。叱った時の王の目は怖く,殴られるかと思うくらいの雰囲気でした。王の叱りの後,小久保はこのような発言をしなくなったと語るのです。
 どんなに打てない時も,エラーをした時でも,取材に対して真摯に受け答えをするようになったのです。また,「ファンに夢を与える」と口にするようになり,小久保は考え方を見直したのです。
 2003年オフに巨人へ移籍する時,小久保は王に報告しました。王は突然のことで驚きながらも,「もう,決まったことなら前に進むしかない。ジャイアンツはよい意味でも悪い意味でも注目されるから大変な球団だ。膝のこともあるけど,とにかく結果を残せるように頑張れ」と声をかけたのです。
 小久保が06年オフにFA宣言を行使してホークスに復帰したのも,王を思ってのことです。交渉の席に,手術から自宅療養中の王も来たのです。そして,「また同じユニフォームを着てやらないか」と語り,小久保は復帰を決めたのです。
 引退後の13年,小久保は侍ジャパンの監督就任を要請されました。この時も王に相談し,王は言いました。
 「いいか,小久保。お前はまだ若い。たとえ,ここで失敗したとしてもそれでお前の人生は終わりにはならない。失敗を恐れずに挑戦してみればいいじゃないか」
 この言葉で,小久保は覚悟を決めて就任要請を受け入れたのです。これまでの自分の生き方,信念を振り返っても,ここで断るべきではないし,チャレンジすべきだと判断したのです。
 以上のように,小久保にとって王は要所で指針となるくらいの存在になっていたのです。「王貞治さんとの出会いがなければ今の私はありません」と語るくらいです。王から学んだことは,これら以外にも多くあるのです。このようにして「王イズム」を継承し,そこから作った「小久保哲学」の大きなヒントになったと私は思うのです。
 小久保が監督を務めて,何か迷う時があれば「王さんならどうするかな」と想像するのかもしれません。あるいは,現球団会長の王に直接相談するでしょうか?
 なお,王について詳しくは以下のリンクをクリックしてご覧ください。

・堀内恒夫

 小久保が巨人に来たときの監督が堀内です。03年のOP戦で大けがをして,小久保はシーズン中全く試合に出られなかったのです。復帰試合は新天地で迎えることになったのです。
 堀内は小久保の起用法に対して気を遣い,痛みがなくても,6連戦の週の1日は休養日にしていたのです。試合のない月曜日と共に休養できたことで,小久保は助かったと語るのです。04年は41本塁打を放ち,巨人で初めて右打者の40本塁打が誕生したのです。
 小久保はホークスから来た外様ということもあり,最初は遠慮していました。しかしある試合後,堀内に食事に誘われました。その席で堀内は,「お前がもっと前面に出て引っ張ってもいいんじゃないか」と語ったのです。これで小久保は外様意識を排除する必要が感じ,積極的に引っ張る方へと変わったのです。
 堀内政権2年目の終盤,小久保は堀内に呼ばれて「2年間ありがとう」と言われました。この年の成績不振を理由に,堀内は監督辞任を決めたのです。小久保は配慮してもらった感謝の気持ちでいっぱいと語ります。一方で,堀内の退任に対しては申し訳なさで胸を締め付けられたと語るのです。
 堀内の監督業については,2年で巨人を優勝できなかったという点でいい言葉をあまり聞きません。しかし,それでも小久保は配慮した恩などを含めて,巨人で優勝しようと挑んだのです。やり残したこととして,巨人を優勝させられなかったことを挙げるくらいなのです。

・原辰徳

 堀内の後を継ぎ,2度目の監督就任となった原。原が監督に就任し,小久保に電話が来たのです。「来季からよろしく頼む。遠慮なくキャプテンとして引っ張ってくれ」と言いました。解説者時代と同様に,とても歯切れのよい,聞き取りやすい声だと語るのです。とてもさわやかな印象を受けたのです。
 06年キャンプインし,原はミーティングで語ります。「一.ジャイアンツの重みを背負うこと,二.ジャイアンツのユニフォームに誇りを持つこと,三.チームがひとつになること」。
 そして,この年からキャプテンに就任した小久保も語ります。「我々は昨年五位のチームです。五位のチームが優勝を目指すには,相当な覚悟と決意を持って取り組むことが必要です。今の気持ちを一年間持ち続けましょう」。原と共に,小久保も意識改革に取り組んでいたのです。
 原の下でプレーしたのは1年で,しかもリハビリのため満足に出場できないまま終わったのです。この年,王が胃の手術をし,小久保はリハビリをしながら王に対する思いやホークス復帰に対しての考えが少しずつ芽生えてきたと語るのです。
 ただし,小久保は最初からホークス復帰を考えていたのではありません。巨人に来たときは,生涯ジャイアンツという考えを持っていたのです。もしも06年も一軍で先頭に立って引っ張ってプレーしていたら,復帰の考えは浮かんでこなかったと思うと語るのです。王の手術のニュースに触れたのがリハビリ中ということで,復帰を考え始めたのです。
 原も小久保を見て姿勢に共感できると思ったから,監督復帰に際してキャプテンに指名したのだと思います。巨人で生え抜き以外で主将になったのは初めてのことです。これまでの慣習を覆してでも,原は優勝のために小久保を選んだのです。その期待に応えたかっただけに,満足に出場できなくて小久保は悔しい思いだと想像できるのです。
 なお,原について詳しくは以下のリンクをクリックしてご覧ください。

・秋山幸二

 秋山とはダイエー時代に選手の先輩として,ソフトバンクになってからは監督と選手という関係でした。著書で語ったのは,主に選手時代の秋山についてです。
 秋山が西武から移籍してきた年,小久保のプロ1年目でもあったのです。小久保にとって秋山は,西武で大活躍した憧れです。小久保は秋山を兄のように慕い,ベンチではいつも隣でいろいろ質問して野球を教えてもらったのです。できるところから真似して,少しでも近づきたいと小久保は思ったのです。
 当時のホークスは,南海時代の1973年から優勝から遠ざかっているどころか,78年以来ずっとBクラスという弱小球団になっていました。それでも秋山は,チームの負けが込んでも何ひとつ不平不満を言わないのです。「プロ野球は技術がすべてだ」と言い続けたのです。そんな秋山に小久保はかわいがれたのです。
 秋山によって,小久保はプロ意識を植えつけてくれることになったと語ります。秋山が西武で培った常勝軍団の意識を,小久保が受け継いだということなのかもしれません。ホークスは段々と勝てるようになり,99年に優勝・日本一になったのは前述の通りです。
 09年から秋山が監督になると,前年の秋季練習初日に小久保をキャプテンに指名したのです。ホークスの選手時代から小久保を見て,チームを変えるにはこの人しかいないと思ったのかもしれません。
 小久保も優勝から遠ざかるようになったチームを見て,選手全員で同じ方向を向いてないことが気がかりと語ります。秋山からキャプテンに指名されたことで,もう一度先頭に立ってチームを引っ張ろうと決意したのです。
 そうしたことが功を奏したのか,2010年にホークスはリーグ優勝を果たします。翌年も優勝し,今度は日本一にもなったのです。
 王という大きな存在感を持つ監督と同時に,秋山という常勝を経験した先輩が身近にいた。秋山の移籍と同時にプロ入りした小久保にとっては,ベストタイミングだったのかもしれないのです。こうした幸運も活かして,小久保は大打者になったと思うのです。


以上,小久保の現役・コーチ時代に仕えた監督についてでした。


それではこれらを踏まえて,小久保監督がどのような采配をするのか考えてみます。

・「王イズム」を見直し,選手たちにもう一度植え付けさせるのか?

 現在のホークスの基盤となっているのは,現在も球団会長として在籍する王だと思います。弱小球団を常勝軍団にまで育て上げて,その後の監督も王の下でプレーやコーチを務めた野球人で受け継がれています。まさに「王イズム」は,ホークス野球の基盤になっていると思うのです。
 その「王イズム」を,直接の門下生である小久保によって見直し,再びチームに浸透させていくのではないかと思います。24年現在,現役選手で直接王監督の下でプレーしたのは和田毅くらいです。なので,王がチームに叩き込んだことを忘れていてもおかしくはないのです。
 例えば,前述でも書いた「生卵事件」から優勝した時の,王の大阪での行動です。この件から小久保は,『「見返す」では負のエネルギー』ということを学んだのです。自分たちは生卵をぶつけた人に対して,「今に見てろ」という思いで這い上がるよう踏ん張ったのです。それで活力へのエナジーになるので,それ自体は間違いではないと思います。
 しかし,それでは勝った時ファンに対して「見たか,こら」という気持ちになると思うのです。小久保はその姿勢から抜け出せなかったからこそ,大阪のファンに対する挨拶にためらいを持ったのではないでしょうか?
 対して王は,「ファンに夢を与える」という姿勢を説き続けました。それは小久保に対する説教でも示されています。大阪での王の行動から,小久保は負のエネルギーよりも,前向きなエネルギーで取り組む方がいいと学んだと思うのです。
 他にも,王が監督として最後のミーティングで説いたものに「自分に勝て」というのがあります。相手チームや選手と勝負する前に,自分自身に勝てない選手はユニフォームを着る資格はないというものです。小久保はこの話を聞き,「自分の中に悩みがあったり,自信がないときはことごとく打ち取られていた」と感じたのです。
 また,王は「誇り高き戦士になれ」とも言いました。「やるべきことをしっかりやった後は,堂々としていないさい」ということです。
 王はチームが弱い時でも常に堂々としていました。逃げたしたい時でも,胸を張って前を向き続けていました。「チームの先頭に立つ人の姿としては,これほど頼もしいことではありません」と小久保は感じたのです。これこそ誇り高き戦士なのです。
 21年からホークスは3年連続で優勝を逃しました。それも大型補強をしながら,全然勝ってないのです。そのため,ファンから厳しい声も出ていると思います。その中で,小久保は監督として指揮を執ることになります。もしかしたら,そうした声に負けて下を向いてしまっている選手が多いのかもしれません。
 そうした選手が前を向いてもらうために,小久保は王と同様に堂々とした姿勢でい続けると思います。そして選手に王から学んだことを話し,何が大切なのかを説くと思うのです。そして,もう一度「王イズム」をチーム内に叩き込むことができるのではないでしょうか?
 すべての原因とまで言わずとも,ホークスが優勝を逃しているのは「王イズム」が薄くなっているとも考えられます。小久保がそう感じたのなら,自分が王から学んだものを継承させるのかもしれません。若いころからの直接の師匠だけに,伝えられることも違うと思うのです。同じく王の門下生の多いコーチ陣と共に,「王イズム」を蘇らせるのではないでしょうか?


・失敗を活かす

 私が小久保の著書を読んで感じたのは,「小久保は失敗から逃げない,失敗を活かしているのでは」ということです。これは,小久保が脱税や離婚のこともしっかり書いているなどから感じたことです。本来なら触れたくないところにも,小久保はきちんと向き合っている証だと思います。
 また,プレミア12で優勝を逃した失敗があっても,小久保は「ここから逃げてしまっては2年後のWBCにおいても同じ失敗を繰り返すだけ」と思ったのです。そして,グラウンド内外の課題を明確にするために,様々な立場の人の話を聞く必要があると感じたのです。そこから改善に取り組んで,WBCに挑んだのです。
 こうした経験を踏まえて,小久保は次のように語っています。
 ”振り返ってみて印象に残っていることは,じつは苦しかったときがほとんどです。また失敗したこともよく覚えているものです。そう考えると,人は失敗から学ぶことが圧倒的に多いことがわかります。同じミスは繰り返さないように気をつけたり,上手くいかなかったときに創意工夫をこらす努力,そして時間。こういうことを経ることが成長につながる気がしてなりません”
 さらにそこから発展させて,小久保は「本当は過去も変えられるのではないか?」と思っているのです。過去の事実は変えられずとも,きちんと向き合うことで変えられるものがあるのです。
 小久保の場合,プレミア12で負けたところから,コーチ陣,スタッフ,多くの関係者たちと共にミーティングをしました。その結果,「これでは負けて当然だった」と思えるようになり,課題や改善点が浮き彫りになったのです。同時にWBCに対して,「同じミスはしないぞ」と決意を新たにできたのです。
 このように小久保は「過去を変える」ことができたのです。正しくは,「過去の捉え方は,いくらでも変えることができる」と私は思うのです。そうすることで,過去を悔やむものだけにするのか,次への活力や突破口にすることができるのか?小久保はそう言いたいのだと思います。
 小久保は侍ジャパンの監督時代を振り返り,次のように語っています。
 ”人生に起こるすべてのことは必然であり,無駄なものは何もありません。そして,一見するとマイナスに見えることでも,それをプラスに変えることで過去は大きく変化し,現在を前向きに過ごす活力となり,それが未来への明るい道筋となるのだと思います”
 このような「失敗から逃げない」姿勢で,小久保は監督に挑むと思います。また,選手にその重要性を説いていくのではないでしょうか?
 これから監督として,失敗もたくさんすると思います。それでも小久保は逃げない姿勢を持ち続けることができるのか?それによって,チームの行方も大きく変わると私は思うのです。


・小久保の考える「精神野球」

 小久保は侍ジャパンの監督を務める際,「精神論」を重要視して選手に説いていました。これは一般的に言われる「気合いだ」「たるんでいる」というものではありません。
 『「小久保野球」とは?』と聞かれた時,小久保は「手本となる選手が集まる野球」と答えるのです。それはグラウンド内だけでなく,ユニフォームを着ているときだけでなく,日常生活も含めたありとあらゆる局面での事です。小久保は侍ジャパン監督を務める中で,選手にその姿勢を求めたのです。
 例えば,帽子をかぶらずに練習すること,唾を吐くことを小久保は禁止したのです。せめて,侍ジャパンに招集されるときは守ってほしいと思っていました。やがて考えがチーム内に浸透していくと,そうしたことをする選手はほぼいなくなったのです。
 各チームを代表する選手,日本を代表する選手が集まるところで技術論で指導することは何もありません。その中で監督ができることは,「精神論を伝えること」と小久保は感じたのです。それは小久保が現役時代から大切にしていたのと同時に,「正しい心の持ち方があればこそ,望むべき結果も得られるはずだ」と考えるからです。
 この姿勢は監督としてもホークスの選手に求めていくと思いますし,二軍監督でも選手に求めていたと思います。もしも小久保が近年のホークスを見てだらしなさを感じたとすれば,一軍監督として選手に「精神論」を伝えていくと思うのです。
 他にも小久保の持論として,「チーム全体が腫れ物に触るようなベテランになってはいけない」というのがあります。実績を残し,ベテラン選手になってくると,監督を含めたチーム全体が,そのセンスの顔色を気にするようになりがちです。ここでちょっとした不平や不満を顔や態度に出してしまうことで,チーム全体にマイナスの影響を及ぼしてしまうということがあるのです。小久保はそれを何度も目にしたと語ります。
 そのような態度を見せない選手として,侍ジャパン監督時代にコーチを務めた稲葉篤紀を挙げます。稲葉はベテラン選手になっても,常に全力プレーを怠っていません。いつも若い選手の手本になっており,それは小久保にとっても常に理想としていたプレースタイルなのです。稲葉は決して,自分の期限でプレーをするような選手ではないのです。そうしたことも,稲葉をコーチに呼んだ理由だと小久保は語ります。
 ならば,現在のホークスで中堅・ベテランになっている選手に対して「稲葉を見習え」と言うのではないでしょうか?24年現在では,投手で有原航平,石川柊太あたり,野手なら甲斐拓也,柳田悠岐,近藤健介,中村晃などが該当するでしょうか?そうした選手に自分の態度を見直してもらうために,小久保は稲葉を手本に説くと考えられるのです。
 というように,小久保は自身の経験などを基にした「精神論」を持っています。それがチームに欠けていると感じたとなれば,まずコーチ陣に説いて理解してもらうと考えられます。そうしてコーチ陣に波及させてから,選手の指導に活かして波及させていく。これができるのではないでしょうか?


・「小久保哲学」を選手に浸透させるのか?

 以上に上げた以外にも,小久保は自分の経験から学んだ哲学を持っています。それを活かして采配するにあたって,それをコーチ,選手たちに波及させていくと思います。それはもう,秋季と春季キャンプからもう始めているのかもしれません。ここでは,他に小久保が持っている持論について書きます。
 小久保の著書のタイトルで『開き直る権利』というのがあります。侍ジャパン監督の経験を経て,小久保が学んだことをそのまま表現したのです。
 小久保の語る「開き直る権利」とは,決して投げやりになって「何とかなるでしょう」と思うことではありません。この権利を得るために必要なのは,これでもかというくらいの入念な準備です。「もうこれ以上は何もすべきことはない」という状態になって初めて,「あとはなるようになるさ」という心境になることです。
 小久保はプレミア12で優勝を逃した後,WBCに向けて入念な準備をしました。できるだけのことをやった後,今さら何をしても悪あがきとなるだけです。この時,小久保はようやく「開き直る権利」を得たと語っているのです。その心境に達すると,周囲が何を言おうとまったく気にならなくなったのです。
 大会開始前に小久保は,「最低,最悪の辞退って何だろう」と自問します。小久保にとってそれは,「1次リーグ敗退」なのです。次にそれが実現するとどうなるかと考えると,「自分の人生はどうなるか」と考えます。しばらく考えた結果,「せいぜいバッシングを受けるぐらいのことで,命まで取られることはないだろう」と結論に達したのです。
 そう考えられるようになった途端に,小久保の気持ちが落ち着いてきたような気がすると語るのです。大会本番前の強化試合,壮行試合に対する世間からの批判に対しても堂々と受け流せるような気がしたのです。それは原が据わり,覚悟が決まった瞬間です。この時の小久保は真の開き直る権利を得たのです。
 というように,本番に挑む前に「開き直る権利」を得られるかどうか?それが重要だと,小久保は語るのです。小久保はその境地に達したからこそ,WBCで最善の策で挑むことができ,敗退しても批判を受け止めることができたのです。
 このことを選手に説いていくのではないでしょうか?打撃では1秒もない速度でボールが来ます。その世界で打席で邪念を持っていると,結果がどうなるかは明らかです。選手も入念な準備で「開き直る権利」を得ることができれば,打席での結果も変わると考えられるのです。
 他には,「よい日は最後までよい形で終わることが大事である」というのがあります。これはホークスでコーチを務め,後にオリックスで監督を務めた森脇浩司から小久保が学んだことです。小久保が2打席連続ホームランを打った試合で,最後にエラーしたのです。その時に森脇から言われたことなのです。
 ”気を抜いてエラーしたわけではないのはわかる。ただ,よい日は最後までよい形にするという意識はあったか”
 森脇にそう尋ねられて,小久保はなかったと気がついたのです。それからは,活躍した試合ほど後半そのことを強く意識するようになったのです。よい日はほとんどよい形のまま終えることができ,それが自信の積み重ねになり,周りから見ても隙のないプレーヤーのイメージができたと,小久保は語るのです。
 小久保はホークスを見て,「終わりまでいい形」という選手が何人いると思っているでしょうか?もしも少ないと感じるのなら,ホークスが優勝を逃し続けている一因なのかもしれません。そこを正そうと,森脇から学んだことを説くことも考えられるのです。
 他には,小久保が引退直後に出した本のタイトル『一瞬に生きる』というのがあります。過去を引きずらず,未来を予測しすぎないことです。一瞬に全知全能をかけ,エネルギーを分散させずに一点に集中させることなのです。
 このような生き方ができれば,たとえ思うような結果が出なくても後悔はしないのではないかと小久保は思うのです。そして,「一瞬に生きる」ことができているかどうかを,いつも確認する癖をつけようと思うようになったのです。
 これは師匠の王の言葉である,「この一球は二度とない」と共通していると思います。二度とない一球という意識を強く持ち打席に立つ。王の言葉から,小久保がつかんだ言葉なのです。「王イズム」を見直す1つになるかと思います。
 以上のように,小久保がつかんだ「小久保哲学」をどのように波及させていくでしょうか?そうして意識改革を行うことで,ホークスを再び常勝軍団に戻していくよう取り組むのではないでしょうか?


以上,小久保監督の采配を予想してみました。


やはり,小久保が采配をするにあたって,一番ベースになるのは「王イズム」なのは間違いなさそうです。

ただし,それだけでなく,自分と関わった人,自分の経験を活かして学んだものもあります。

その上,自分の失敗からも逃げず向き合い続けました。

こうした姿勢で采配をして,自分の考え方を説いていくと思います。

それを続けることで,選手たちも小久保を見習うようになるのかもしれません。

小久保監督に期待できることは,姿と言葉でチームが変わることだと私は思います。

屈辱や挫折も多く経験したことで,「教材」は多くあると考えられます。


それでは最後に,小久保監督の課題を考えてみます。

・固定観念から脱却できるのか?

 小久保の著書を読んでみますと,小久保にはいくつかの固定概念があるように感じました。この固定概念から脱却,進化できなければ苦しい采配になるのではないかと思うのです。
 例えば,小久保は「クローザー最強説」を持っていました。プレミア12ではそれを基に選手を集めていました。次のように語っています。
 ”各チームには最終回を任される「クローザー」と,試合中盤から後半を任される「セットアッパー」がいますが,基本的にはもっとも力のある投手がクローザーを務めるものだし,クローザーの多くがセットアッパー経験者です。手帳にも記したように「今後も中継ぎ専門職よりもクローザーを起用する」という考えは変わりませんでした”
 小久保の「クローザー最強説」とは,「チームでクローザーを務められるのなら中継ぎも務められるはず」というものです。9回という大きなプレッシャーで投げる投手なら,どんなところでも結果を出せると考えていたのです。
 ところが,プレミア12ではこれが裏目に出たのです。準決勝の韓国戦,7回まで大谷翔平,8回は則本昂大が無失点で抑え続けていました。3-0で日本リードの9回表,小久保は則本をそのまま続投させました。則本は3者連続ヒットを食らい,さらに死球をぶつけて,アウトを取れずに交代します。
 次に出たのは,当時東北楽天ゴールデンイーグルスでクローザーを務めていた松井裕樹です。その松井が四球を出し,結局それだけで再び投手交代です。次に出たのは,当時北海道日本ハムファイターズでクローザーを務めていた増井浩俊です。その増井もタイムリーヒットを打たれて,逆転を許したのです。こうして日本は準決勝で敗れ,優勝の夢が絶たれたのです。
 小久保の打算では,「クローザーならピンチでも抑えられる」と考えていたと思います。しかし,クローザーは通常,9回の頭から登板することがほとんどです。イニングの途中からの登板もなくはないですけど,経験値は少なめだと思います。そのため,クローザーの中にはイニング途中からの登板を嫌う人もいると聞いたことがあります。
 松井も増井も,この時点でイニング途中のピンチで登板の経験値はどれだけあったのでしょうか?むしろ,イニング途中のピンチなら,途中からの登板経験が豊富な中継ぎの方が向いていたのかもしれません。
 そのことを踏まえてなかったのか,小久保はこの時のリリーフ投手でクローザーを中心に集めていたのです。逆に中継ぎ専門の選手はほとんど招集せず,それが裏目に出たのです。
 次のWBCで小久保は,日本一の投手コーチである権藤博をコーチに招きました。権藤の提案で,小久保は中継ぎ専門の選手も選ぶことを決めました。秋吉亮,宮西尚生を招集したのです。小久保は権藤から「改めて野球の奥深さ,そして勝負の難しさを教わりました」と語るのです。
 このほかにも,小久保なりの「4番打者像」というのを持っていたりします。他にも,小久保の持論の中には「古い考え方」と思うものがあったりします。それは小久保も自覚しているところがあるのです。
 これから采配をする上で,こうした固定概念とぶつかるケースがあるときはどうするのでしょうか?意地でもそこに固執するのか,権藤のケースのように他の人の力を借りてでも見直すのでしょうか?そこは重要だと思うのです。

・フロントにどれだけモノを申せるのか?

 2021年から23年まで,ホークスは3年連続で優勝を逃しました。20年にパ・リーグ優勝,17年から20年まで4年連続日本一になっただけに,その反動は大きいです。特に23年は何十億も使って大型補強を敢行したのに,3位とホームでクライマックスシリーズ(CS)開催も逃した結果です。
 こうしたことで,フロントに厳しい声が出ています。特に編成の責任者であるゼネラルマネージャー(GM)に対しての批判は小さくありません。このような状況の中で,小久保は監督を託されたのです。
 その小久保は,どれだけフロントに意見を言うことができるのか?王が球団会長にいるからといって,遠慮せずに要望などを出すことができるのか?フロントに批判が集まっている以上,ここも重要だと思うのです。
 かつて小久保は,ダイエーホークス時代にフロントにいろいろ言ってきました。特に2003年にOP戦で大けがをした時は,手術代のことでもめて「もう自分は必要とされてない」と思うくらいになったのです。それでオフに放出を志願し,無償トレードで巨人に移籍したのです。
 実際,この時のフロントに対して不満を持つ選手は多くいました。武田一浩,工藤公康,若田部健一,村松有人と,多くの主力選手がFAで移籍しているのです。そして小久保の放出に対しても,ホークスの選手はフロントに対して不信感を持ち,優勝旅行をボイコットするまでになったのです。それだけ,当時のホークスフロントは機能してなかったのです。
 2005年からソフトバンクホークスになったものの,杉内俊哉などフロントと対立して移籍した事例はあります。この時小久保はホークスに復帰していたものの,フロントに何か意見を言っていたのでしょうか?
 というように,ホークスフロントは何かしら批判させるようなことがあるのです。そこに3年連続で優勝を逃しているだけに,フロントに対する不信が強くなってもおかしくないのです。
 こうしたフロントに,小久保は臆することなく意見を言えるのでしょうか?そして,フロントの姿勢などを正すことができるのでしょうか?フロントともめたことある小久保だからこそ,それができるのではと思うのです。


以上,小久保監督の課題を考えてみました。


では締めに入ります。

小久保が監督になることは,多くのファンが待っていたのではないでしょうか?

03年オフに小久保が巨人へ移籍した時も,ホークスファンは復帰を待っていたのかもしれません。

06年オフに本当に復帰すると,ファンは歓喜に満ちていた記憶があります。

そして,小久保は21年にコーチとして復帰し,ファンの中で監督待望が募ったと思います。

その時が来たのです。


侍ジャパンでは,結局優勝を果たせませんでした。

そのリベンジということになると思いますけど,小久保の中では「今度こそ優勝」と意気込んでいると思います。

果たして,現役時代のようにファンを喜ばせることができるのでしょうか?

「王イズム」の継承者である小久保,新たな挑戦が始まるのです。



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それでは,またのお越しをお待ちしております。


皆さんに,新たな発見が見つかりますように・・・ ・・・。

一瞬に生きる
小久保裕紀
小学館
2014-02-21


開き直る権利 侍ジャパンを率いた1278日の記録
小久保 裕紀
朝日新聞出版
2017-11-30




『パワプロ13』のOPに選ばれた選手は…

しばらくの間,OP戦まで時間があります。

ということで,久々にパワプロのネタを書いてみます。


今年で,パワプロは30周年を迎えました!

そして,新たに『パワフルプロ野球2024-2025』の発売が発表されました!

今回はNintendo SwitchとPS4での発売とのことです。

2024年発売としか発表されてないですけど,パワプロファンとしては無視できません。


そして,30周年ということで新たな企画が立ち上がりました。

KONAMI野球ゲームアンバサダーとして,ドジャースの大谷翔平が選ばれたのです。

奇しくも,同じ1994年生まれなので,大谷も今年で三十路になりますね。

大谷もまた,パワプロをプレーしたことがあるのですね。

最近の自分の能力,見てみたでしょうか?

それに対してどう思っているのか,聞いてみたいですね。

いずれにしても,今年のパワプロも燃える予感しまくりです。


閑話休題,久々にパワプロネタを書いてみます。

以前,『パワプロ11』と『パワプロ12』について書いたネタがあります。

それぞれのOPで現役選手が出てきましたけど,当時誰が選ばれたのかを見てみたのです。

リンクを載せておきますので,クリックしてご覧ください。




ということで,今回は続きということで『パワプロ13』のOPに出た選手を見てみます。

それでは,最後までよろしくお願い致します。


2006年7月13日に発売された『実況パワフルプロ野球13』。

前年に阪神とロッテが優勝し,ロッテが日本一になりました。

前年から誕生した楽天の2年目でもありますね。

その時のパワプロのOPがこちらです(2024年2月26日アクセス)。

では,『パワプロ13』のOPで選ばれた,各チームの代表選手は誰でしょうか?


今回も登場順に「チーム名…選手名(2005年度の成績)」で書いていきます。


広島東洋カープ…黒田博樹(防御率3.17,15勝12敗,165奪三振),新井貴浩(打率.305,43本塁打,94打点,3盗塁)

 カープはまさに,投打の軸が選ばれたのです。前年に最多勝になった黒田と,最多本塁打になった新井はもうエースと4番です。2人選ばれることに,誰が異議を申し立てられるのでしょうか?
 黒田と新井といえば,共に15年にカープに帰ってきて,翌年の優勝に貢献しました。まあこの時は,後に2人ともカープから出ることも,復帰することも想像してなかったと思いますけどね。「優勝のための土台がこの時」と言うのは,こじつけでしょうか?
 また,当時カープは「ミッキー」というボール犬が話題でした。当時の広島市民球場で,かごに入ったボールを球審に持っていったのです。前年からデビューし,背番号「111」(ワンワンワンにちなんで)でファンを湧かせていたのです。そのミッキーも,パワプロに出ていたのです。なお,ミッキーは09年4月8日に老衰で亡くなりました(11歳)。
 投打のヒーローに,球場を湧かせていたボール犬。前年最下位の中で,明るい材料をふんだんに取り入れた選抜だと思います。


読売ジャイアンツ…高橋由伸(打率.298,17本塁打,41打点,1盗塁),小久保裕紀(打率.281,34本塁打,87打点,1盗塁),上原浩治(防御率3.31,9勝12敗,145奪三振)

 前年に巨人は5位に終わり,いいところがほとんどないというシーズンでした。清原和博やタフィ・ローズなどが退団し,新たな巨人を作ろうと第2次原辰徳政権が発足しました。
 その中で,打の中心にいた小久保,絶対的なエースの上原,そして球団の顔になっていた由伸が選ばれたのです。前回の『パワプロ12』で選ばれていたのは清原でした。そのため,今回は生え抜きから2人を選んだということかもしれません。
 そして最後には,「88」と帰ってきた原監督の番号が出ました。まさに,「3選手を中心に,原監督によって巨人を復活させる」というメッセージを込めたチョイスだと思います。


東京ヤクルトスワローズ…古田敦也(打率.258,5本塁打,33打点,1盗塁),青木宣親(打率.344,3本塁打,28打点,29盗塁),木田優夫(NPBでの登板はなし)

 ウィンドブレーカーを脱ぎ,バットを持った選手が登場。これは「監督から選手へ」という意味です。そう,この年から古田が選手兼監督という「プレーイングマネージャー」になったのです。選手権監督は,1977年の南海ホークスの野村克也以来のことです。古田は師匠以来の兼任監督に挑戦したのです。
 これは当時ものすごく話題になったので,さすがにコナミもこれを無視することはできませんよね。実際『パワプロ2014』でも,選手兼監督になった谷繁元信が中日代表で選ばれましたから。古田からの登場で,スワローズファンの私は「古田,かっこいい」と思っていました。
 そして,前年に首位打者,最多安打,新人王を一気に獲得し,彗星のごとく現れた青木。200安打達成は,1994年のイチロー以来2人目の快挙です。古田兼任監督に新星を添えたということですね。余談ですけど,青木は2010年にも200安打を達成し,23年終了時唯一の2回達成者となりました。
 さらに,何やら絵を持って「よろしく」と掲げる選手がいます。背番号は見えませんけど,このようなことをするといえば木田しかいません。木田は古田から誘いを受けて,MLBからこの年ヤクルトに来たのです。「画伯」と言われる特徴から,古田に添えたということかもしれませんね。
 古田によって,この年からチーム名に「東京」がつくことになりました。「古田を中心に,神宮で盛り上がっていくぞ」と示すチョイスだと思うのです。


横浜ベイスターズ…三浦大輔(防御率2.52,12勝9敗,177奪三振)

 ベイはもはや,三浦のチームになっていたと言ってもいいくらいです。前年の三浦は,最優秀防御率と最多奪三振の二冠王に輝きました。そして,最下位から3位にまで躍進することに貢献したのです(当時,CSはなかったので,順位が上がったという評価のみ)。
 もう,ここはシンプルに三浦の投げるところだけを見せる。カープからヤクルトまで比べると地味かもしれませんけど,「これが三浦だ。これがベイスターズだ」と示すメッセージに思えるのです。まあ野手陣はタイトルがおらず,強いて挙げれば金城龍彦のGG賞だけでしたね(金城は『パワプロ11』で選ばれました)。
 「もう,三浦はベイスターズの顔」ということを端的に表した抜擢ですね。その三浦が24年現在,ベイの監督を務めています。チームの顔というのは,今も同じかもしれませんね。


中日ドラゴンズ…荒木雅博(打率.291,2本塁打,41打点,42盗塁),井端弘和(打率.323,6本塁打,63打点,22盗塁)

 当時は落合博満政権でしたけど,この象徴と言えば何といっても「アライバ」です。特に,荒木がギリギリのところでキャッチし,そのままグラブトス。井端がそれをつかんで一塁に投げてアウト。もう,今でも私が憧れてしまう華麗な守備,連携です。何か連携する時に,真っ先に浮かび上がるのはこのアライバなのです。
 その荒木のグラブトスからの,井端のキャッチから送球をそのままアニメ化したのです。当時このプレーが出た時,球場は大いに盛り上がっていたと思います。
 もう外野へ抜けるかと思いきや,寸前のところで荒木がキャッチ。それでもすごいと思いきや,とっさの判断でグラブトス。井端が荒木のところへ行き,キャッチして送球。荒木が一塁に投げても間に合わないけども,この方法で打者をアウトにしていたのです。
 俊足2人の二遊間の守備,もうまさに「鉄壁」そのものです。当時の一番の見どころを選ぶチョイス,私もグッドと思ったのです。


阪神タイガース…ジェフ・ウィリアムス(防御率2.11,3勝3敗,37ホールド,90奪三振),藤川球児(防御率1.36,7勝1敗,46ホールド1セーブ,139奪三振),久保田智之(防御率2.12,5勝4敗,3ホールド27セーブ,97奪三振)

 前年に阪神が優勝しましたけど,この「JFK」なしで優勝できるわけないと思います。ここから中継ぎ投手への概念が大きく変わったと言ってもいいのです。それを象徴するような抜擢に思えます。
 7回ウィリアムス,8回球児,9回久保田は,もう鉄壁のリリーフリレーです。もう,6回まで阪神にリードされた時点で負けというプレッシャーを,他のチームは感じていたのではないでしょうか?この順番でつないでいたことと,ジョン・F・ケネディの頭文字のつながりと同じということから「JFK」と名付けられたのです。
 しかも,後ろのスコアボードは6回終了時点で1点差リードというものです。まさに「JFK」登場,「JFK」の真価を発揮できる場面なのです。さらに,それぞれの選手に「J」「F」「K」と表示されているの分かりますかな?
 後にこのリリーフリレーは,優勝する上で必須と言っていいくらいの存在になったのです。それまでクローザーやセットアッパーと8,9回のリレーはフィーチャーされていたものの,7回からのリレーは「JFK」が初めてです。その先駆けを示すような抜擢に,今となっては思えるものなのです。


東北楽天ゴールデンイーグルス…一場靖弘(防御率5.56,2勝9敗,72奪三振)

 この成績だけを見ますと,「何故に一場?」と思うのかもしれません。私も最初にOPを見た時に,「一場だよね…」と思ったのです。
 まず,楽天1年目である前年の『パワプロ12』で選ばれたのは岩隈久志です。04年に大阪近鉄バファローズで投手二冠王に輝き,新生球団でもエースの期待がありました。なので,これは抜擢されるのも納得です。
 その1年目ですけど,弱いを通り越して話にならないチーム成績でした。97敗して断然最下位でした。予想できたとはいえ,ここまでかとも当時思ったものです。
 選手の成績はと言いますと,突き抜けた存在と言える選手がいないのです。野手で強いて挙げるとすれば,25本塁打を打った山﨑武司でしょうか。岩隈は肩を痛めて思うように投げられなくなり,9勝15敗,防御率4.99と散々な成績だったのです。
 その岩隈は06年,開幕から8月まで全く投げてないのです。実際,『パワプロ13』で登場した時も二軍でした。代わって一軍投手で最初にいた,すなわちエース扱いされていたのが一場なのです。
 一場は岩隈不在の中で,孤軍奮闘で投げ続けていました。他に誰も追随しなかったこともあり,一場が頑張るしかなかったのです。この年の最終成績は,防御率4.37,7勝14敗,151奪三振,完投5でした。球界ではそれほどではないものの,これにすら誰も追随できてなかったのが当時の楽天なのです。
 それはつまり,一場の抜擢は06年序盤の活躍からだと思うのです。ドライチで入って知名度があることを含めて,皆を代表してという感じで抜擢したのかもしれないのです。まあ,それだけ当時の楽天が弱かったということを示すものでもありますね。
 フルキャストスタジアム宮城(現.楽天モバイルパーク宮城)で皆が並び,一場が代表して明日に向かっていく。誰かというよりは,全員登場ということを示したかったのかもしれないのです。


北海道日本ハムファイターズ…小笠原道大(打率.282,37本塁打,92打点,2盗塁)

 背番号は出ていなくとも,バットを前に出すこの仕草は小笠原以外にいないはずです。チームの顔になっていた小笠原を,そのまま抜擢したという感じです。
 『パワプロ11』『12』は,続けて新庄剛志が選ばれていました。そのためコナミも,「新庄以外の誰かにしよう」と思っていたのではないでしょうか?そうなると当時チームの顔といえば,もう小笠原しかいないということで即決だったのではないでしょうか?
 この年,日ハムは25年ぶりの優勝,44年ぶりの日本一に輝きました。同時に,森本稀哲や稲葉篤紀やダルビッシュ有などがチームの顔になってきたと思うのです。それまでは新庄のフィーバーや,小笠原の圧倒的な存在感でチームは成り立っていたと思います。そこからの転換点になったと,今となっては考えられるのです。


オリックス・バファローズ…清原和博(打率.212,22本塁打,52打点,0盗塁)


 この年の開幕前,大阪はすごく盛り上がったと思います。大阪出身の清原と中村紀洋が同時に入団しました。まさに「盆と正月が同時に来た」という感覚で,優勝を期待できるファンも多かったのではないでしょうか?
 合併球団として前年からスタートし,仰木彬監督によってチームを盛り立てていきました。最終成績は4位だったものの,そこに清原とノリが来たことで期待は大いに高まったと思うのです。それを示すかのように,清原を抜擢したと思うのです。なお,『パワプロ12』でも巨人代表で出たので,清原は2年連続の抜擢ということになります。
 この当時,オリックスには谷佳知や村松有人など有名な選手はいました。『パワプロ12』では村松,『パワプロ11』では谷が選ばれていました(『11』では谷の妻であるヤワラちゃんこと谷亮子も出ていました)。
 ただ05年シーズン,谷は成績を大きく落とし,村松も規定打席に達しませんでした。投手でも突き抜けた選手が中継ぎの菊地原毅くらいで,他がいないという感じなのです。そこでこの年から来た清原かノリということで,清原を選んだということではないでしょうか?
 二択で清原を選んだのは,次に出る選手も理由なのかもしれません。2002年日本Sで,あの大投手から特大ホームランを打ちましたからね。


西武ライオンズ…松坂大輔(防御率2.30,14勝13敗,226奪三振)


 実は,松坂がパワプロに選ばれたのは3年連続なのです。確かにチームの顔にはなっていましたけど,他にいなかったのかと思ってしまうものです。
 ただ,前述の通り,清原からの登場で松坂という流れなのかもしれません。共に甲子園のスターで,怪物級の活躍を1年目から見せていました。そして,2002年の日本Sでの戦い。そうなりますと,清原からの流れで考えると,松坂しかいかなったのかもしれませんね。
 松坂はこの年のオフにMLB移籍します。そのため,次のパワプロでは嫌でも違う選手を選ばないといけないことになります。当時のコナミ,誰にしようか頭を抱えたでしょうか?まあ,『13』の時でも和田一浩などはいましたけどね。


福岡ソフトバンクホークス…杉内俊哉(防御率2.11,18勝4敗,218奪三振),和田毅(防御率3.27,12勝8敗,167奪三振),新垣渚(防御率4.61,10勝6敗,130奪三振)

 前年まで,2年連続で城島健司が選ばれていました。ホークスの顔であり,球界を代表する捕手でもありましたからね。その城島がMLB移籍し,今度は誰が選ばれるのか注目されていたと思います。
 選ばれたのは,当時ものすごく強力と言われた先発陣なのです。前年に杉内は最優秀防御率と最多勝の二冠王になり,パ・リーグMVPにも選ばれました。そこに03年の新人王から活躍を続ける和田に,04年の最多奪三振の新垣。この3人を揃える形になったのです。
 本当は前年に16勝1敗と「負けないエース」と言われるようになった斉藤和巳もいます。それでもこの3人にしたのは,いずれも1980年生まれの「松坂世代」だからだと思います。成績だけで選ぶのなら,新垣よりも和巳の方がふさわしいと思いますからね。それでも共通点のある3人を選ぶことで,OPにふさわしいようにしたのかもしれません。
 当時のホークスは,先発陣がかなり強力でしたからね。城島に代わってチームの代表を示すものとして,この選び方をしたのではないかと,今となっては思うのです。
 なお余談ですけど,『パワプロ13』とOPで和田と新垣のグラブの色が違います。ただ,『パワプロ12決定版』では共に黒なので,後ろにいる左腕投手は和田ではないかと思うのです。新垣は背番号が映っているので分かりやすいですけど,2人の左腕投手は推測でもあるんですよね。多分,合っていると思います。


千葉ロッテマリーンズ…渡辺俊介(防御率2.17,15勝4敗,101奪三振)

 当時のパワプロ最後を締めるのは,アンダースローでファンに強烈な印象を与えた渡辺俊介です。前年にロッテは優勝・日本一になり,10勝投手が6人現れる奇跡が起こったのです。その中で一番の勝ち頭が俊介だったのです。
 特徴的な選手で,チームの顔になってきたということでの抜擢だと思います。アンダースローからの投球でガツンと三振。アニメ化しても映えますよね。
 なお,俊介の球を受ける捕手もいますけど,これが里崎智也なのか橋本将なのかは分かりません。共にミットの色が黒で,特長を示すようなものが見当たりません。なので,今回は取り上げないことにします。
 俊介も2年連続でパワプロのOPに選ばれました。野手では前年から西岡剛や今江敏晃などが知られてくるようになったくらいで,他にOPで映える選手がいない感じですね。まあ,連続で選ばれるとなれば,チームの顔になっている証拠ですね。


以上,『パワプロ13』のOPで選ばれた選手を見てみました。


改めて思うのは,まずパワプロ13から複数の選手が選ばれるようになったということですね。

『11』と『12』では代表1人が出たのに対して,『13』は2人以上出たチームもあるのです。

選びきれなかったというのと,アライバとJFKは2人以上いないと成り立たないというのがあると思います。

それぞれのチームの象徴的なパフォーマンス,チームの顔というのをフィーチャーしたいという思いが制作側にあったのかもしれません。

見た方も,「この選手か」以外にも,「おっ,このプレーか」と思う驚きが出たのではないでしょうか?

間違いなく,『12』よりも躍動的,記憶に残るOPになったと思うのです。


もうひとつ,2006年3月に第1回WBCが開催されました。

そのメンバー,パワプロ13のOPに選ばれている選手が多いのです。

新井,上原,青木,球児,久保田,小笠原,松坂,杉内,和田,俊介がWBCメンバーなのです(黒田も選ばれていたものの,負傷離脱で代替招集されたのが久保田)。

前年に活躍した選手が中心になるだけに,パワプロのOPとリンクしやすくもなります。

改めて振り返ると,そう気づいたのです。


なお,OP曲は岡めぐみによる『ONE』です。

頑張って目標に向かっていく人を見守り,伝えていくような歌詞ではないでしょうか?

OPの最後に私が言葉を添えるなら,「さあみんな,やれ!」ですね。


では,パワプロ13のEDでこのネタを締めくくることにします。

sana(新谷さなえ)で『虹を見たかい?』(2024年2月26日アクセス)。



実況パワフルプロ野球13
コナミデジタルエンタテインメント
2006-07-13



実況パワフルプロ野球13 決定版
コナミデジタルエンタテインメント
2006-12-14




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ファンができる唯一のこと

最近,スポーツ界でいろいろな声を聞きます。

先日,サッカー日本代表が負けた時は,森保一監督にいろいろな声が出ていました。

「勝てる」と思っていただけに,その反動も大きいからかもしれません。

森保監督も,勝てなかった責任を感じているところだと思います。


野球界でも,監督に対していろいろな声が出ています。

昨季優勝・日本一に導いた阪神の岡田彰布監督には,称賛の声が多くありました。

パ・リーグ3連覇したオリックスの中嶋聡監督には,日本一になれなかったことで厳しい声もあったりします。

他のチームでも,監督やフロントに対していろいろな声が出ていると思います。


現在,小久保裕紀監督についてのネタの準備をしているところです。

小久保といえば,2013年から17年まで侍ジャパンの監督をしていました。

15年第1回プレミア12で優勝できなかったところで,多くの批判がありました。

そんな中で17年WBCを率いて,結果は準決勝敗退でした。

優勝を期待していただけに,小久保に対して厳しい声があったのを覚えています。

小久保は選手を称賛し,負けた責任を全て受け入れる姿勢を見せました。

その小久保が,今季からホークスの監督を務めます。

小久保がホークスでどのような采配をすると考えられるのか,そのネタを準備しているところです。


そこで小久保の著書を読んでいると,フッとある考えが浮かんだのです。

”ファンができることって,何だろう?”

あの時,自分は侍ジャパンを,小久保を信じ切ることができたのか?

かつての自分から,現在に至るまで何か変わったのか?

そのように思っていると,「ファンができることは1つだけだな」と思ったのです。


ファンができる唯一の事とは…

チームや監督を信じるかどうか選ぶこと

これしかないように思うのです。


采配やチーム編成などについては,いろいろな意見が出ると思います。

「こんな選手の使い方なんてありえない」「ここは絶対こうすべきでしょ」

負けた後を中心に,このような声が出てくると思います。

人は十人十色なので,様々な意見が出るのは仕方ないことです。

ファンも熱心に試合を見て応援するために,真剣にチームのことを考えていると思います。

誹謗中傷は論外ですけど,熱い意見が出るのはファンがいる証拠でもあると思うのです。


ただ,意見をいろいろ言ったとしても,ファンに問われるのはこの質問だと思います。

じゃあ,あなたはチームや監督を信じますか?信じないですか?

今後も,ファンの意見とは違う采配や編成をすることもあると思います。

「この監督で大丈夫か?」と思っても,その監督が続くこともあると思います。

気に食わないことがあると,またいろいろと言う人が現れると思います。


それでも,ファンができる唯一のことは何かを言うことではありません。

そのチームを応援し続けるか,監督などを信じていくのかを選ぶことなのです。

例え自分の意見と違う采配をしたとしても,ファンならそれを信じるしかないのです。

「恐らく,こういう意図なんだろうな」と思いながらも,信じる人こそ本当のファンだと思います。


もしも信じることができないのなら,応援から離れるしかないのです。

どのような意見を言ったとしても,最終的にジャッジするのは監督などです。

その采配を信じることができないのなら,応援を辞める方が自分のためになると思います。

胸糞悪い気分で試合を見ても,誰のためにもなりませんからね。


個人的な事例を挙げますと,23年WBCの事です。

栗山英樹監督は,初めての日系人としてラーズ・ヌートバーを侍ジャパンに選びました。

「メジャーで実績が乏しい選手を選ぶなんて」「ただ初めてのことをやりたいだけじゃないの?」

そうした意見が出ていたと思います。

私も前年の成績でしか知らないので,「どうなのかな」と思っていました。


ただ,最終的にはヌートバーと栗山を信じることに決めました

まず,そもそも私はヌートバーを全然知らなかったからです。

プレーを見たこともないのに,基本的に意見を言えるわけないです。

一方で栗山は,現地でヌートバー本人,VTRでプレーを見ていたはずです。

それを踏まえた上で選んだはずで,少なくとも見ずに選ぶことはしてないはずです。

見て選んだ人と,見てもない人がいろいろ言うのとでは,どちらが正しいのかは言うまでもないです。


そして何より,私自身,侍ジャパンで勝ちたかったからです。

もう,「勝ってほしい」を超えて「勝ちたい」という思いです。

それならば,栗山たち侍ジャパンを信じるかどうか選ぶなら,「信じる」以外の選択はありません。

「勝ちたい」と思うなら,腹をくくって栗山を信じると決めたのです。

栗山はいろいろな準備をして挑むはずなので,もう私は信じるしかないのです。

当ブログで試合後にいろいろと書きましたけど,少なくとも「信じる姿勢」は崩してなかったはずです。

だからこそ,「信じ切って良かった」と優勝した時に言えたと思うのです。


ということで,私の考えを書いてみました。

サッカーで日本代表が敗れて,いろいろな思いを持っているかと思います。

それを聞いたうえで,私が最終的に聞くのは「あなたは日本代表を信じますか?」です。

信じるなら腹をくくって応援する,信じないのなら応援から離れる。

それがファンができる唯一の事だと思います。

どんな意見を言ったとしても,最終的に聞かれること,決めることを忘れてはならないと思います。

私自身も肝に銘じます。



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和田毅の件から考える,FA宣言の人的補償 その1

先日のある一件から,SNSなどでも騒ぎになっていることがあります。

当人が「触れたくない」と語っているので,傷口に塩を塗ることになるのかもしれません。


ただ,今後同じことが起こるとなれば,またその人に対していろいろ言うことがあるかと思います。

それを少しでも防ぐためという意味でも,私なりの意見をここで書くことにします。

誰かを責めるというのではなく,改善策として語るようにします。


先日,FA(フリーエージェント)宣言を行使した山川穂高を,福岡ソフトバンクホークスが獲得を表明しました。

移籍元の埼玉西武ライオンズに対して,ホークスはプロテクト選手をリストアップして提出しました。

それを見た上で,西武は甲斐野央を獲得しました。

西武は人的補償を選び,山川に代わる選手を獲得できたということになるのです。


これだけならば通常のFA宣言と人的補償の流れを説明したのみとなります。

ただ,西武が甲斐野を獲得する際に,あることが起こって騒ぎになったのです。

私の考えを述べる前に,あることについて詳しく説明します。


FA宣言を行使した選手は,前所属チーム内の年俸でランク付けさせられます。

年俸1から3位まではAランク,4から10位まではBランク,11位以下はCランクとなります。

なお,このランキングで外国人選手は除外されます。

そして,AとBランクの選手を他球団が獲得すると,移籍元球団は補償を受けることができます。

お金と移籍先から選手を1人もらえる人的補償。

選手はもらわずにお金をたくさんもらえる金銭補償というのがあります。


AorBランクの選手を獲得した移籍先球団は,移籍元選手に対して「プロテクトリスト」を提出しなければなりません。

今回の場合,移籍先はホークス,移籍元は西武ということになります。

山川はAランクになるので,ホークスは西武にプロテクトリストを提出することになります。

「プロテクトリスト」とは,「人的補償を選ぶのなら,ここに載せた選手以外を獲っていいですよ」と移籍元に示すものです。

移籍元は,移籍先から以下の選手以外から1人獲得できます
・プロテクトリストに載った28名の選手
・外国籍選手(FA獲得で外国人枠から外れた選手を含む)
・育成枠の選手
・直近のドラフトで獲得した新人選手

今回のホークスで言うのなら,プロテクトされた28人以外に,オスナなど外国人選手,育成枠にいる選手,前田悠伍など23年ドラフトで獲得した選手。

これら以外の中から,西武が誰を獲得してもいいということになるのです。

もしも欲しい選手が誰もいなければ,金銭補償を選ぶということになります。


ここで問題になったのは,西武が甲斐野獲得と発表する前です。

報道で西武が和田毅を獲得する意向と出たのです。

和田は2002年ドラフトでホークスに入団し,今年で22年目を迎える大ベテランです。

MLB以外はずっとホークスに所属し,「最後のダイエー戦士」となるくらいの古参です。

将来はコーチや監督という期待も,ファンにはあるかと思います。

そのような大ベテランが移籍というだけに,ファンが大騒ぎしたのです。

「和田がホークスじゃなくなるなんて…」,「球団は和田をプロテクトしなかったのか」

そもそも和田は昨季8勝を挙げて,左腕で勝ち頭となっていました。

今季から監督を務める小久保裕紀も,開幕投手候補と言っていました。

そのような選手を,ホークスフロントは西武に「獲得してもいいよ」と示したのです。


西武が,今年で43歳になる和田を獲得する意図がどこにあると考えられるのでしょうか?

恐らくですけど,若い左腕投手の手本が欲しかったという考えではないかと思います。

今季で3年目の隅田知一郎や佐藤隼輔が,昨季ブレイクしました。

さらなる飛躍のために,近くに手本となるベテラン左腕として白羽の矢を立てたのではないでしょうか?

西武のベテラン投手といえば増田達至くらいで,他にはベテランという存在がいません。

あと何年プレーするか分からなくとも,そうした意味で大ベテランを指名しようとしたのではないかと思うのです。


ところがこの報道によって大騒ぎになりました。

その後西武は,リリーフ投手の甲斐野を人的補償として指名したのです。

確固たるセットアッパーとクローザーが昨季いなかったので,その穴埋めを狙ったのだと思います。

こうして,和田の移籍は幻に終わったということなのです。


この件は,報道によって人的補償を変えたと捉えられても仕方ないです。

最終的には西武が「忖度」したことによって,騒ぎが収まった形になったのです。

山川に対して厳しい声が残っているだけに,和田の移籍に対してファンはより敏感になったのだと思います。


それでは,この騒動の何が問題と考えられるのでしょうか?

1つずつ見てみます。

①ホークスが和田をプロテクトしなかった
 まずホークスファンが騒いだところで一番大きいのは,ホークスフロントが「和田を獲ってもいいよ」と示したということですね。この点でホークスファンは,未だにフロントに不信感を持っているのではないでしょうか?いや,選手からも不信感が出ているのかもしれません。
 プロテクトリストに載せる選手は,主力選手か期待の高い若い選手が中心になることがほとんどだと思います。今回のホークスなら,野手で近藤健介,柳田悠岐,甲斐拓也など,投手なら石川柊太,有原航平,松本裕樹などがプロテクトされていたと思います。こうした選手を28人のプロテクトリストに載せて,「この中以外から獲得してもいいよ」と西武に示すのです。
 そこに,昨季8勝と左腕で勝ち頭となり,将来の指導者候補と言われていた和田を入れてなかったのです。今年で43歳という高齢とはいえ,昨季もチームに貢献した選手をプロテクトしてなかったのです。私はこの報道が出た時,「他には言えない故障を抱えているのか?」とさえ思ったのです。
 こうしてホークスフロントに対して,ファンからは「ベテランや貢献者に冷たすぎる」という声があがったのです。選手からも「和田さんを何だと思っているの?」と思っている人が出ている可能性もあります。このような声が出るのは,過去を覚えている方もいるからではないかと私は思うのです。
 その事例は2つあり,1つは福岡ダイエーホークス時代の小久保裕紀です。小久保はダイエー時代に本塁打王に輝くなど主力として活躍したものの,2003年はOP戦の大けがで1試合も出場できませんでした。それでも「来季こそは」と,本人もファンも期待していたと思います。
 ところが小久保とフロントで確執があり,シーズンオフに小久保は読売ジャイアンツへ無償トレードされたのです。チームリーダー的な存在であった小久保を「ただで」放出したフロントに,ファンも選手も不信感を持ちました。その年に優勝・日本一になったものの,優勝旅行をボイコットするくらいになったのです。
 小久保は2006年オフにFA宣言を行使し,ソフトバンクになっていたホークスに復帰しました。この時はフロントも変わっており,わだかまりなく復帰できたと思います。ファンも喜んだと思いますけど,小久保放出当時は相当騒いでいたと記憶しています。
 もう1つの例は杉内俊哉です。杉内はホークスで長年左腕エースとして活躍を続けていました。福岡出身で,高校も社会人も九州だけにホークス愛も強かったと思います。ファンから将来の指導者候補とまで見られていたのではないでしょうか?
 それが当時のフロントと確執が生まれたのです。フロントの評価法に疑問視したことや,フロントの人から「FAしても獲得する球団はない」とまで言われたとのことです。杉内もホークス愛で保つことはできず,2011年オフにFAして巨人に移籍したのです。
 生粋の九州出身ということもあり,これもファンにとって大きなショックだったと記憶しています。かつ,フロントに対する不信感も芽生えたと思います。杉内が移籍して,12年に巨人は優勝・日本一となり,ホークスは優勝を逃したのです。フロントに対する疑念は,なおさら募ったと思います。
 小久保と違い,杉内は24年現在までホークスに復帰していません。小久保の確執はダイエー時代で,復帰した時とは親会社が違っていました。それに対して杉内は,ソフトバンク時代に確執が生まれたのです。復帰するどうかは,フロントの姿勢次第ですね。
 というように,主力選手の移籍によるフロントへの不信感が芽生えたという過去,これがホークスにあるのです。それを記憶しているファンにとっては,今回の和田の件に対して「何も変わってないではないか」と思う人もいるのかもしれません。
 以上のように,ホークスファンにとって大騒ぎの一番の要因は,和田を移籍からプロテクトしなかったことです。「まだ”生え抜き”に冷たいの?」と,過去を知るファンから不信感は大きく募ったのではないでしょうか?それが選手内に出ていれば,不協和音の一因にもなりかねません。
 ただし,これについてホークスフロントはルール違反をしたわけではありません。将来有望な選手を中心にプロテクトすれば,あと何年プレーするか分からない和田を外すのは無理もないことです。仮に和田が本当に移籍したとしても,徹底的に若い選手の芽を出せば,その声は霞むことになると思います。この世界,結果で強化されるのはフロントも同じですからね。

②そもそも,この情報はどのようにリークしたのか?
 私が今回の件で一番気になったのは,和田が移籍かという情報がどう漏れたのかなのです。もしもリークされていなければ,西武はそのまま和田を獲得できていたのかもしれません。まあ,それでも大騒ぎになっていたとは思いますけどね。
 プロテクトリストは,移籍先球団から移籍元球団のフロントに渡されます。これはフロント内のことであるので,誰がプロテクトされたのか,誰がプロテクトから漏れたのかは,お互いのフロントしか知らないはずです。実際,プロテクトリストは公表されず,選手自身も知らないはずです。
 それが今回,何らかの形で「西武が和田を指名する方針」と,公式発表する前に情報が漏れたのです。どこが最初に報道したのかは記憶にないですけど,その記者や報道機関はどのように情報を手に入れたのでしょうか?
 これに関しては,フロントが情報を漏らしたのか,うっかりなどで情報が漏れたのかによって見方が変わります。報道機関に対しては,フロントと結託してない限り責任はあるのかなと思うのです。
 まず何者かが情報を漏らしたとなれば,それはホークスフロントである可能性が高いです。目的はやはり,和田獲得を西武に撤回してもらうためとしか思えません。西武が漏らしたとなれば,百害あって一利なしの行為ですからね。
 これが本当となれば,「何のためのプロテクトリストで,何のためのFAと人的補償なのか」という問題になります。きちんと「28人」とルールで定めているのに,この手を使えばそれ以上プロテクトしたということになります。これを防ぐとなれば,ルールを変えるしかないと思うのです。
 一方で,情報が漏れたということになれば,フロントは選手を守ってないということになります。何故プロテクトリストを公表しないかといえば,プロテクトされなかった選手を傷つけないためであるはずです。「俺,球団から必要とされてなかったのか」という感情が芽生えないように,公表しないという形を取っていたのではないでしょうか?
 それが今回情報がリークしたことで,誰が幸せになったのでしょうか?和田は移籍にはならなかったものの,「この件に触れたくない」と語るようにショックを与えることになりました。ファンや選手からも不信感が芽生えたということになりました。
 このような事態を防ぐための秘密なのに,それが何かしらの原因で起こってしまったのです。選手を守ることは,フロントにとって非常に重要なことのはずです。その義務を怠ったとなれば,選手は今後どっしり構えてプレーを続けられるのでしょうか?この方式で漏れがあるとなれば,やはり見直す必要があるということになります。

③過去の出来事(疑惑)から,このような事例が起こり得るにも関わらず,何も対処されてなかった
 今回の和田の件について,私は「これ過去の疑惑から起こり得ると予測できなかったのか?」と思いました。あくまでもその時は疑惑で済んだものの,今回は実際に起こることになりました。NPBがルールを見直さなかったことで,今回の騒動になったと言われても仕方ないのです。
 ここから話すことは,あくまでも信憑性が疑わしい一部の報道で出たことです。当該者が認めたわけではなく,あくまでも疑惑のままです。そのつもりで,この事例を読んで頂けたらと思います。
 2017年オフ,北海道日本ハムファイターズに所属していた大野奨太がFA宣言を行使しました。そして,中日ドラゴンズに移籍となりました。大野はBランクなので,中日は日ハムにプロテクトリストを出しました。日ハムは金銭補償を選び,選手獲得をしなかったのです。
 ところがこの後,一部で疑惑の報道が出たのです。日ハムは岩瀬仁紀を人的補償で獲得しようとしたものの,岩瀬が「移籍するなら引退する」と拒否したとのことです。これで日ハムは金銭補償を選んだという情報が出たのです。
 もう一度言いますけど,本当にこのようなことがあったのかは定かではありません。岩瀬も中日フロントも日ハムフロントも何も語ってないので,真相は分かりません。ただ,そう思われても仕方ない根拠がいくつかあるのも事実です。
 まずルールについて説明します。人的補償で指名された選手は,移籍することを拒否することができません。もしもするのなら,その選手は資格停止選手となり,強制的に「引退」となります。この場合は,金銭補償に変わることになるのです。
 このルールに合わせると,もしも日ハムが岩瀬を人的補償として指名したとします。岩瀬は日ハムに入団するか,その時点で引退するかを選ぶしかありません。結局,日ハムはそのまま金銭補償を選び,人的補償を指名しない形にしたのです。
 この報道にどのような根拠があるのでしょうか?まずプロテクトリストが届いたとき,日ハムフロントは「ファイターズとしてインパクトあるリスト」と語りました。このように語ることから,人的補償を誰か指名する可能性が高いと考えられます。
 ところが年が明けた18年1月,日ハムは金銭補償を選ぶと発表したのです。発表直前にニック・マルティネスを獲得し,支配下登録が70人いっぱいになったからとも言われています。岩瀬が拒否したからマルティネスを獲得したのか,マルティネスを獲得できたから変えたのか…どちらに捉えることもできます。
 ただ,この報道に対して,岩瀬も中日フロントも日ハムフロントも何も語ってないからこそ,疑惑の信憑性があると思うのです。違うのなら「そのような報道が出ていますけど,きちんと岩瀬をプロテクトしていますよ」と語ればいいのです。仮に本当にプロテクトから漏れたとしても,公開はされないので偽っても誰も傷つけることはないです。岩瀬本人も「全く何も知らないです」と言えばいいだけのことです。
 ところが何も語らないからこそ,疑惑を事実と思われても仕方ないのです。そして今回の和田の件が出た時に,引き合いに出されることになったのです。これはもう,過去の後処理が悪かったからとしか言えません。
 結局情報が漏れたことで,西武が和田を獲得することに対して「なんてことを」という声が出たのです。西武は「忖度」したため,甲斐野に方針転換をした。そう思われても仕方ない事態になったのです。和田が「引退」をちらつかせて拒否したと思われても,どう反論できるのでしょうか?
 このように,何かしらの「忖度」によって28人以上のプロテクトになる可能性は十分起こり得るのです。また,一度育成選手に下げて,プロテクトしなくてもいいという「裏技」もあり得ます。このようなことが認められるとなれば,もはやルールが有名無実になってしまうのです。
 今回の騒動はフロントに責任があるのは間違いないです。ただし,このような事態を想定できたにもかかわらず,ルール改正など何をしなかったNPBにも問題はあります。過去の一件(疑惑)から何も学んでないことを,今回の騒動で証明したように見えるのです。


以上が,今回の件で私が問題と思う点です。

誰が悪いとかはありますけど,何かを見直さないといけないのは間違いないと思います。

少なくとも,今回の騒動で誰が幸せになったのでしょうか?

そう思えば,ルール改正など着手できるはずではないでしょうか?


長くなったので,一度ここで切らせていただきます。

私なりの改正案や考えを,次回出したいと思います。

それでは,またよろしくお願い致します。



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