求究道(ぐきゅうどう)のプロ野球講義

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歴史講義

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日本人のホームランの概念を変えた「青バット」:大下弘

今年は日本プロ野球誕生90周年というアニバーサリーです。

1934年に大日本東京野球倶楽部が発足し,ベーブ・ルースたちMLB代表と試合しました。

そこから職業野球の気運が高まり,36年から日本職業野球連盟としてリーグ戦が始まったのです。

そこから現在に至って,プロ野球は日本中で愛されるスポーツになっているのです。


ということで,当ブログでも不定期で歴史について書いてみようと試みます。

不定期なので,どれくらいの頻度になるのかは私にも分かりません。


一昨年に,村上宗隆の記録にちなんで,レジェンド小鶴誠についた書いたことがあります。

このような感じで書いてみようかなと思っています。

この90年の歴史を築いてきたレジェンドを,より多くの方に知ってもらいたいなと思っています。


今回書くのは,「青バット」と呼ばれた大下弘です。

それでは,最後までよろしくお願い致します。


ここに2本のバットがあります。
DSC_0041

東京ドーム内にある野球体育博物館(現.野球殿堂博物館)を,かつて私が訪問した時に撮影したものです。

赤いバットと青いバットがあります。

この2本を使った2人の選手が,しのぎを削り合っていた時があったのです。


「赤バット」と呼ばれた読売ジャイアンツの川上哲治。

正確無比のバッティングコントロールで,弾丸ライナーを飛ばしていました。

そして,「青バット」と呼ばれた東急フライヤーズの大下弘。

天性の遠くへ飛ばす打球技術で,子供たちに夢を与えていました。

戦後間もないプロ野球は,この2人によって盛り上がり,築き上げたと言っていいと思うのです。


大下弘は,1922年12月15日に兵庫県神戸市で生まれました。

小学校,高等小学校と進学し,36年に台湾・高雄市に移住します。

ちょうど日本本国で,職業野球のリーグ戦が始まった年です。

41年12月に明治大学に進学するものの,徐々に足音が聞こえてきます。

そう,12月8日に真珠湾を攻撃したことで,太平洋戦争が始まったのです。

大下が進学したのは,学生の徴兵猶予の特権のためとも言われています。

しかし43年に大学のリーグ戦が中止になり,12月に学徒出陣を言い渡されます。

大下は航空隊を志願し,45年8月15日に終戦を迎えるのです。

大下は大学に復帰し,再びバットを持ち始めます。

あまりにも打球をポンポンと飛ばすことから,「ポンちゃん」というあだ名がついたのです。

大下の打球を飛ばす天性は,この頃から開花していたのです。


10月に大下は,明大の先輩である横沢三郎からプロ入りの勧誘を受けます。

戦後まもなく誕生した新球団・セネタース(現.北海道日本ハムファイターズ)に入団を決めます。

11月に職業野球東西対抗戦で大下は出場します。

この時,戦前の職業野球とは光景がまるっきり変わっているのです。

戦前は大学野球の方が盛んで,職業野球は玄人にしか好まれてなかったのです。

また,当時は野球を遊びだと思う傾向が強く,職業野球は「ろくな奴が行くところではない」と思われていたのです。

給料こそ一般職よりも高いものの,そのような価値観でプロ入りに反対する選手の親などもいたのです。

現に川上哲治も親にそう言われ,「兵役に入るまで」という条件で38年に巨人入りしたのです。

話を戻しますけど,戦後間もない頃になると子供が多く来るようになったのです。

戦後まもなく荒廃しきった日本,誰もが希望を求めていたのかもしれません。

そんな中で,大下は戦後初となる柵越えホームランを放ったのです。

それまでのホームランといえば,低いライナーで飛んだ球の延長線上のものか,ランニングホームランが相場でした。

対して大下の打球は,高い弾道から飛ばす虹のようなホームランなのです。

その打球が描くアーチは,戦後間もない人々に夢や希望を与えるものになったのです。

この瞬間から,日本人のホームランの概念が変わっていったのかもしれないのです。


46年にリーグ戦が再開され,大下のプロ1年目が始まります。

この時,大下23歳。

大下の虹のようなホームランに,多くの日本人は魅了されます。

それは子供や女性をも魅了し,大下は人気選手になっていくのです。

この年104試合出場し,打率.281,20本塁打,74打点,16盗塁を記録しました。

戦前のホームラン記録は,1938年秋の中島治康(巨人:この年,プロ野球史上初の三冠王)と39年の鶴岡一人(南海軍:現.福岡ソフトバンクホークス)の10本が最高でした。

それを戦後間もない新人がいきなりホームラン数を倍にしただけに,大下はプロ野球界に大きな衝撃を与えたのです。

本塁打2位の飯島滋弥も12本と記録更新していたものの,大下はそれすらも超えて圧勝のホームラン王だったのです。

いきなりホームランの最高記録が倍になったら,誰だって大きな衝撃を受けるはずです。

そうイメージすると,大下がとんでもない選手ということが想像しやすいかと思います。


そして大下はやがて,バットの色を青にします。

これはバットの色を赤にしていた川上哲治に対抗したものです。

並木路子の『リンゴの唄』の歌詞にある「赤いリンゴに(中略)青い空」をヒントにしたそうです。

一応参考に,『リンゴの唄』をYouTubeから引っ張ってきます(2024年2月19日アクセス)。

当時は歌も人々に希望を与えており,小さな歌声で魅了していたのが美空ひばりなのです。

そうして希望を与えるものとしてダブったから,赤バットと青バットが誕生したのかもしれません。

赤バットから放たれる弾丸ライナーと,青バットから放たれる虹のようなホームラン

戦後間もないプロ野球,誰もが2人に夢中になっていたと思います。

哲治と大下,共に雑誌の表紙やめんこになったくらいです。

いかに子供たちに夢を与え,愛される選手になったかが分かるかと思います。


47年,この年は大下と哲治で激しい首位打者争いが繰り広げられたのです。

序盤,哲治は高打率を残すのに対し,大下はホームランを狙うあまり凡打が多くなるのです。

大下の打ち方は,MLBの伝説であるベーブ・ルースやルー・ゲーリッグと似ているのです。

構えて一度前へ大きく倒してから,後ろへ大きく持って行ってスイングするスタイル。

そのため,打球がバーンと大きく飛んでいくのです。

ただ,この打ち方はテイクバックからインパクトの間までに時間が掛かり,粗いバッティングになってしまうのです。

その弱点を突かれたため,大下の打率は高くなかったのです。

そこで大下は流し打ちを心がけるようになり,打率が上がってきたのです。

哲治と打率でデッドヒートを繰り広げたのです。

ところが,大下が作り上げた風潮によって,今度は哲治がスランプになったのです。

大下が大きな打球を飛ばすことで,周囲はホームランを期待するようになったのです。

哲治は40年に本塁打王になったことがあるものの,その数は9本でした(ちなみに,46年に10本塁打を放っています)。

大下の20本と比べると,まさに天と地ほどの差があるのです。

その周囲の「ホームラン,ホームラン」という声から,「これからはホームランを打たなければプロではない」という雰囲気になってきたのです。

その期待に応えようとするあまり,哲治の正確無比な打撃が狂ってきたのです。

最終的に哲治は,打率.309(3位),6本塁打,57打点でした。

一方大下は,打率.315,17本塁打,63打点と,全てで哲治を上回ったのです。

首位打者と本塁打王の二冠に輝いたのです(ちなみに打点王は,阪神の藤村富美男で71)。

そう,大下のホームランによって,世の中のホームランに対する認識,価値観が変わってきたのです。

大下は2年連続の本塁打王に輝き,その期待に応えたのです。


巨人,西鉄ライオンズ(現.埼玉西武ライオンズ),大洋ホエールズ(現.横浜DeNAベイスターズ)を優勝に導いた,名将・三原脩は生前語りました。

”日本の野球の打撃人を5人あげるとすると,川上,大下,中西,長嶋,王

 3人に絞るとすれば,大下,中西,長嶋

 そして,たった1人選ぶとすると,大下弘”


中西とは「怪童」と呼ばれる天才打者・中西太,長嶋茂雄と王貞治は説明不要ですね。

3チームを優勝に導いた名将が,大下をこうしたレジェンドよりも選ばれる打撃人と見ていたのです。

大下がいかに優れているのか,「天才」と言われるのかが分かる言葉だと思います。


ただ,「天才」と思われる大下ですけど,それは天性だけのものではありません。

確かに人気者になってからの大下は,多くの女性と豪遊するようになったと聞きます。

一方で,後に西鉄でチームメイトになる稲尾和久は,生前語りました。

大下はある日,トレパン一丁でバット一本持って外に出ます。

そして帰ってくると,汗ぐっしょりになっていたのです。

そう,汗まみれになるくらいバットを振ってから帰ってきたのです。

練習嫌いと言われた大下ですけど,単なる「天才」ではないのです。

実際,48年は練習不足で不振になっていたと言われています。


大下の登場によって,その後のプロ野球が変わってきます。

大下と哲治という戦後間もないスターによって,プロ野球は子供や女性をも魅了するようになるのです。

同時に,世間はホームランを求めるようになってきます。

やがて様々な打者が柵越えホームランに果敢に挑むようになり,記録が塗り替わっていきます。

48年に哲治と青田昇(巨人)が25本塁打を放ち,大下の記録を更新して本塁打王になります。

ところがその記録は翌年,藤村が46本塁打を放って大きく更新されたのです。

大下が20本塁打と記録を大きく更新してから間もなく,ついにその倍以上にまで到達したのです。

49年は藤村以外にも,別当薫(阪神)の39本,大下の38本,西沢道夫(中日)の37本と,30本塁打越えが4人もいたのです。

そして2リーグになった50年,セ・リーグ本塁打王の小鶴誠(松竹ロビンス)が51本塁打に到達したのです。

まさに,大下から「日本人のホームランの概念」が変わっていったのです。

周囲のホームランを求める声に変わり,やがて選手も柵越えホームランの量産を狙いに行き,記録を更新してもそれ以上のホームランを求める。

そして,それを見た子供たちもホームランに憧れるようになったのです。

大下の戦後間もない虹のようなアーチがなければ,世はホームラン野球になってなかったのかもしれないのです。


人々が大下に魅了したのも,戦後間もないタイミングだったからだと思います。

敗戦で焼け野原になり,多くの人が絶望的な気持ちになっていたと想像します。

その中で様々な娯楽が復活し,プロ野球もその1つでした。

人々は再び見られる娯楽に,生きる希望を求めていたのかもしれません。

そんな時に希望の象徴ともいえる「虹」のような打球を,大下が見せたのです。

こうしたことが重なった奇跡を,大下が生み出したのではないかと私は思うのです。


後に大下と西鉄でチームメイトになる豊田泰光が,生前に語ったものがあります。

豊田が語るには,「長嶋によって,プロ野球が初めて”カラー”になった」とのことです。

打っても走っても守っても,絵になって人々を魅了していたのが長嶋です。

その土体となる「白黒」を作ったのが,哲治と大下だと私は思うのです。

戦後間もない2人のスターが,子供や女性のプロ野球人気を上げました。

そうして戦前より人々がプロ野球に目が行くようになったという土台がある。

そこに,長嶋がどんなプレーでも映える野球を見せます。

長嶋に魅了するようになったのは,その前に哲治と大下が築いた「土台」があったからだと思うのです。

哲治と大下が白黒テレビを作り,長嶋がカラーにしたということでしょうか。

哲治と大下は,こうした点でプロ野球史に欠かすことのできないレジェンドなのです。


それでは,川上哲治と合わせて,その後の大下を語って締めることにします。

その後哲治は,アベレージヒッターとして巨人の中心打者を務め続けます。

1956年には,プロ野球史上初の通算2000本安打を達成します(大正生まれのため,名球会には未加入)。

「ボールが止まって見える」という言葉を残し,「打撃の神様」と呼ばれるようになったのです。

そして58年に現役を引退したのです。


大下はその後,49年に38本塁打,102打点と自己記録を更新します。

50年に打率.339で2度目の首位打者に輝き,別当の三冠王を阻止したのです。

51年は89試合で26本塁打,打率.383で3度目の本塁打王と首位打者に輝くのです。

この時の長打率は.704で,OPSは何と1.169というとんでもない数字なのです。

打率も2位に圧倒的な差をつけて,70年に張本勲が3毛差で抜くまで日本記録だったのです。

52年から西鉄でプレーし,54年の優勝,56年から58年の優勝・日本一3連覇に貢献します。

59年,打率.303を残しながら現役を引退します(規定打席には未到達)。

通算成績は,打率.303,1667安打,201本塁打,861打点,146盗塁でした。

引退後は評論家などを経て,61年に阪急ブレーブス(現.オリックス・バファローズ)で打撃コーチを1年務めます。

68年には古巣・東映フライヤーズの監督になるものの,シーズン途中で辞任します。

74年から75年に大洋でコーチを務め,その後は少年野球や女子野球のチーム監督を務めたのです。

1979年5月23日,56歳で亡くなりました。

美空ひばり,笠置シズ子,川上哲治と共に,戦後復興のシンボルとなったスーパースターの死は,大きく取り上げられたのです。

翌80年,小鶴や千葉茂と共に野球殿堂入りを果たしたのです。


戦後間もない頃,人々の心は荒んでいました。

そんな中で大下が描く虹のようなホームランが,人々に希望を与えました。

それはプロ野球界を変えることにつながり,ホームランの時代を切り開いたのです。

大下の20本塁打が戦前の記録なら,もしかしたら日本のプロ野球は大きく違っていたのかもしれません。

そう考えますと,時代が大下を必要としていたと言えそうなのです。


そんな大下が引退後に語った言葉で締めます。

”私は野球には天才も名人もいないと思っています。

 天才とかなんとかは周りが言うことであって,実際は存在しませんよ。

 私だって凡才です。

 ONといえども凡人の中の非凡の程度じゃありませんか”


「天才」とは何か,いや「天才」なんていないということを示した言葉だと思うのです。



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福岡ソフトバンクホークス,2014年ドラフトの成果

今回も,2014年ドラフトの成果を見てみます。

今回は,福岡ソフトバンクホークス編です。

それでは,最後までよろしくお願い致します。


2014年ドラフトでホークスが指名した選手がこちらです。2014ホークス

1位は高校投手の松本の単独指名に成功しました。

そこから高校選手を徹底的に指名し,素材中心を狙ったドラフトになったのです。

高校時代に注目を集めた島袋を指名したのも話題になりましたね。


1位松本は,2年目に一軍デビューを果たしました。

3年目には先発で登板を重ねて,経験値を確実に積んできました。

ところがそこからなかなか飛躍せず,諦めムードも出てきたように思います。

2020年に25試合登板し6ホールド,防御率3.49の成績を挙げました。

ようやく可能性を見せてきたのです。

21年には33試合登板すると,22年は44試合で15ホールド,防御率2.66にまで上げてきました。

リリーフの主力として,ようやく一軍定着が見えてきたのです。

9年目の昨季は,53試合登板して25ホールド,防御率2.68という成績でした。

セットアッパーを務めることもあり,ドライチの片鱗をようやく見せてきたのです。

なかなか芽が出ない感じから,「外れかな」という空気もあったと思います。

そこから這い上がってきて,主力になってきたのです。

10年目の今季,真のセットアッパーになれるのか勝負の年だと思います。


2位栗原は,3年目に一軍デビューしました。

19年には32試合出場し,プロ初本塁打を放ちました。

20年に118試合出場し,初めて規定打席に達しました。

17本塁打と73打点を記録し,ブレイクを果たしたのです。

21年も出場を重ねて,その中で東京五輪の侍ジャパンに選ばれたのです。

打席は1つのみでしたけど,それはチームの命運を大きく左右する一打でした。

準々決勝戦のアメリカ戦,延長10回タイブレークです。

先頭の栗原が,プレッシャー度高い中でバントを決めたのです。

これがサヨナラ打につながり,金メダルに貢献したのです。

シーズンでは143全試合出場し,打率.275,21本塁打,77打点を記録したのです。

主力として定着してきたものの,この後試練が訪れるのです。

22年は出だしが好調だったものの,守備で交錯して大けがを負ったのです。

結局,この後のシーズン出場できなかったのです。

9年目の昨季,捲土重来を期するシーズンと意気込みました。

ところがまたしても途中で故障し,完全復活とはならなかったのです。

96試合出場し,13本塁打という成績でした。

10年目の今季,今度こそ完全復活を目指していきます。


4位笠谷は,3年目に一軍デビューを果たします。

20年に20試合登板して4勝,防御率2.84と可能性を見せてきました。

翌21年も3勝を挙げるものの,そこからなかなか飛躍を見せないのです。

22年は16試合,9年目の昨季は8試合登板するものの,いずれも勝利投手になっていません。

戦力外にならなかったので,ホッとしたのではないでしょうか?

10年目の今季,進退をかけるシーズンになるかと思います。


以上を踏まえますと,段々と「成功」になってきているという感じですね。

高卒が中心なので,頭角を現すのに時間が掛かるのは球団も覚悟していたと思います。

栗原からブレイクし,少し後にドライチ松本が主力になってきました。

「大」をつけていいかどうかは,笠谷を含めた3人が今後主力に定着できるか次第ですね。

今季で10年目ですけど,高卒しか生き残ってないので,その可能性はまだ残っていると思います。


ただ,一方で育成選手は散々な結果に終わっています

支配下登録を果たしたのは1人のみで,他は育成のまま終わっています。

千賀滉大や甲斐拓也のような選手が現れたとはいえ,それは過去の話になってきています。

確かに育成選手は,ダメ元なところで獲得しているとは思います。

しかし,育成施設などを整えている以上,成果が出てないとなれば無駄な経費にしかなりません

近年,見直しがされているのでしょうか?

近年の低迷は,それも一因だと思うのです。


ということで,現段階は「成功」と言っていいかなという感じですね。

ホンマの「成功」または「大成功」と言えるかは,あと2,3年で分かるのかもしれません。



以上,2014年ドラフトの成果を見てみました。

ドラフト当時は,「不作」の年と言われていた気がします。

注目選手が全体で2人しかいないとなれば,そう思われても仕方ないですね。

それでもここまでの結果としては,主力選手がかなり現れているのです。

巨人の岡本,西武の光成,ロッテの奨吾,ベイの康晃がドライチでいます。

ドライチだけでも,後にチームの主力になる選手がこれだけ現れています


やはり,ドラフト当時の「豊作」と,ドラフト後の「豊作」はイコールとは限らないということですね。

そのことを改めて教えているのが,この年のドラフトではないかと思うのです。


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読売ジャイアンツ,2014年ドラフトの成果

今回も,2014年ドラフトの成果を見てみます。

今回は,読売ジャイアンツ編です。

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2014年ドラフトで巨人が指名した選手はこちらです。2014巨人

この年,巨人は高校スラッガーの岡本を単独指名することに成功しました。

その後は即戦力投手に徹底的にこだわり,育成でも独立リーグ出身の投手を獲得したくらいです。

あと,育成で川相昌弘の息子が入団したことも話題になりましたね。


1位岡本は,1年目から17試合出場しました。

高校1年目でプロ初本塁打を放ち,実は2盗塁も決めていたのです。

高卒1年目で本塁打を放つという,非凡なところを見せたと思います。

その後はファームで体づくりに励み,4年目にブレイクするのです。

ファーストのレギュラーに定着し,途中で第89代巨人軍4番に抜擢されたのです。

4番のプレッシャーを微塵も感じさせないプレーを見せます。

143全試合出場し,打率.309,33本塁打,100打点を記録します。

「打率3割,30本塁打,100打点」を4年目で達成し,新たな巨人の4番が誕生したのです。

翌19年も全試合出場し,31本塁打,94打点を記録し,巨人の優勝に貢献したのです。

20年は31本塁打と97打点を記録し,本塁打王と打点王の二冠に輝いたのです。

21年は全試合出場し,39本塁打と113打点と自己記録を更新し,2年連続の二冠になりました。

22年は30本塁打を記録し,5年連続30本塁打を達成したのです。

しかしタイトルは全て,三冠王の村上宗隆に取られることになりました。

9年目の昨季,41本塁打と自己記録を更新し,本塁打王に返り咲いたのです。

シーズン前にWBCで侍ジャパンに選ばれ,決勝で本塁打など優勝に貢献しました。

10年目の今季,よりパワーアップし,巨人の優勝と日本一を目指しに行きます。


2位戸根は,1年目から46試合登板します。

防御率2.88を記録し,即戦力の期待に応えます。

2年目も42試合登板するものの,防御率が4.50にまで下がるのです。

そこからなかなか登板数が伸びず,中途半端な感じが続くのです。

19年に8ホールド,防御率1.99というのが輝きと言っていいくらいです。

22年は9試合に終わり,オフに現役ドラフトでカープに移籍となるのです。

9年目の昨季,新天地で24試合登板し,防御率4.64という成績でした。

盛り返したとは言い難く,何とか戦力外を免れたという感じです。

10年目の今季,危機感を持って挑むはずです。


育成3位の田中貴は,3年目に支配下登録を勝ち取りました。

4年目に一軍デビューし,19年も1試合出場しました。

20年途中,トレードで楽天に移籍しました。

9試合出場し,プロ初本塁打も放ったのです。

21年は31試合出場し,2本塁打を放ちました。

22年は18試合出場するものの,9年目の昨季は一軍出場がありませんでした。

10年目の今季,育成からここまでプレーできるとは思ってないと考えられます。

危機感を持って挑み,自己最高記録を作ってほしいところです。


以上を踏まえますと,岡本だけでも「大成功」と言っていいですね。

ドライチという高い素質とはいえ,4年目で4番打者になりました。

一時期は外されたこともあるものの,昨季は4番打者に返り咲きました。

ただでさえプレッシャー度の高い巨人の4番であるのに,そこに定着しています。

タイトルも継続的に獲得しており,これを大成功と言わずに何と言うのでしょうか?

他はどうであっても,岡本だけでも「大成功」と言える価値があるはずです。

単独指名,ホンマに大成功ですね。


ただ,その一方で徹底的に狙った即戦力投手は確保できない結果になっています。

戸根か高木あたりが一時期活躍したくらいで,主力確保には至っていません。

徹底的に狙っただけに,1人も主力が誕生してないのはダメな結果だと思います。

まあ,岡本がいることで,「失敗」に見えない感じになっていますけどね。


ある意味,「岡本を4番打者にする」という意気込みが強すぎて,他が疎かになった結果にも見えます。

これで岡本も台頭してなかったら,スカウトの眼がない,育成方針が間違いということにもなりますね。

ただ,投手力の強化を疎かにしたことが,近年の低迷につながっているというのはこじつけでしょうか?

19年と20年の優勝時にも,ここで獲得した投手がほとんど戦力になっていません。

最初から,岡本を4番にするというようなドラフトに見えてしまうのです。


ただし,もう一度言いますけど,大きな主力を1人輩出しただけでも「大成功」と言っていいと思うのです。

全員中途半端よりも,4番打者やエースが誕生した方が,戦力的に大きいと思うのです。

チームの柱が不在だと,戦い方もぼやけてしまうのです。

監督にとって助かる選手が1人でも現れると,その年のドラフトは大きいと言っていいと私は思うのです。

たとえ後にMLB移籍したとしても,チームの柱として活躍した時期があるのは確かです。

そのことを忘れてはならないと思うのです。


次回は,福岡ソフトバンクホークス編です。

それでは,またよろしくお願い致します。



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オリックス・バファローズ,2014年ドラフトの成果

「2014年ドラフトの成果」を書いている最中に,年が明けてしまいました。

残りを2024年に書き上げます。


改めて,今回も2014年ドラフトの成果を見てみます。

今回は,オリックス・バファローズ編です。

それでは,最後までよろしくお願い致します。


2014年ドラフトでオリックスが指名した選手はこちらです。2014オリックス

この年は9選手を指名し,そのうち4人が社会人選手です。

この年は2位になったものの,油断せずに補強することを狙ったのだと思います。

ただ,そこから再び暗黒時代に逆戻りし,脱出できるのは優勝する2021年。

そのことを,この時まだ誰も知る由もないですよね。


1位福也は,1年目から17試合登板して3勝を挙げます。

そこからなかなか突き抜けることができず,中途半端が続いたのです。

19年に36試合登板したものの,防御率4.50と改善が見えてこないのです。

21年に8勝を挙げて,防御率3.56とようやく兆しが見えてきました。

9年目の昨季,11勝を挙げてパ・リーグ3連覇に貢献したのです。

オフにFA宣言を行使し,日ハムへの移籍が決まりました。

10年目の今季,新天地で節目を迎えることになったのです。


2位は,2年目に一軍デビューします。

4年目に74試合出場し5本塁打を放ち,ブレイクの兆しを見せます。

20年に72試合出場すると,翌21年は一気に開花します。

外野からサードに転向し,そこでレギュラーになるのです。

139試合出場し,初めて規定打席に達します。

9本塁打,8盗塁,打率.272と自己記録を更新し,三塁打7本はパ・リーグトップでした。

GG賞を獲得し,チームの優勝に貢献したのです。

22年は130試合,23年は122試合出場し,サードの守備も向上してきます。

チームの3連覇に貢献し,自身も3年連続でGG賞に輝くのです。

外野から内野手に転向する,数少ない成功例となりました。

10年目の今季,どのように打撃成績を伸ばすかが課題ではないかと思います。


3位佐野は,4年目に一軍デビューします。

5年目に68試合出場し,12盗塁と代走の切り札に名乗りを上げます。

翌20年は77試合出場し20盗塁と,代走の切り札の地位を確固たるものにします。

ところがその後は出場数が増えず,盗塁も2桁に達してないのです。

9年目の昨季は47試合出場し,5盗塁に終わるのです。

そろそろ代走の切り札に返り咲くとかしないと,肩を叩かれる可能性が上がるだけです。

10年目の今季,返り咲いて野球人生を長くできるでしょうか?


5位齋藤は,2年目に一軍デビューします。

20年に32試合登板し,4ホールド,防御率4.01という成績を記録しました。

これで一軍定着かと思いきや,21年は4試合,22年は5試合と登板数が増えないのです。

オフにトレードで日ハムへ移籍し,新天地で9年目を迎えます。

4試合登板するものの,防御率10.80と結果が出ないのです。

するとシーズン途中で再びトレードされて,中日に移籍したのです。

ここで31試合登板し,11ホールド,防御率0.73という成績を収めたのです。

左腕のワンポイントとして活路を見出し,3球団目でようやくブレイクできたのです。

ちなみに日ハムでも中日でも勝利投手になり,同シーズンで2球団で勝利を挙げる記録を作ったのです。

10年目の今季,ブレイクを活かして主力に定着したいところです。


7位西野は,1年目から57試合出場します。

3本塁打と9盗塁を記録し,即戦力の期待にある程度応えます。

翌16年は143試合すべてに出場し,セカンドのレギュラーに定着します。

規定打席にも達し,打率.264,16盗塁を記録し,三塁打7本はパ・リーグ最多です。

これでセカンドのレギュラーは確実かと思いきや,翌17年は100試合の出場に終わるのです。

18年は60試合と出場数が激減し,レギュラーから遠ざかりました。

そこから出場数が年々減少し,21年には18試合になったのです。

ところが22年は43試合出場し,代打の切り札やたまのスタメンで活躍を見せたのです。

この年の優勝・日本一に貢献しました。

23年も43試合出場したものの,打率は.197にまでなったのです。

何とか戦力外は免れたものの,危機なのは間違いないです。

10年目の今季,ベテランの底力を見せられるのでしょうか?


8位小田は,1年目から31試合出場します。

2本塁打と6盗塁を記録し,俊足で即戦力の期待に少し応えるのです。

翌16年は78試合出場し,早くもベンチの切り札に定着してくるのです。

18年は90試合出場し,10盗塁,打率.287を記録します。

21年は101試合出場し,5盗塁を記録するのです。

ベンチの切り札として,初めて優勝に貢献したのです。

22年は72試合,昨季23年は77試合出場して,パ・リーグ3連覇と日本一に貢献します。

ベンチの切り札に定着し続けて,自分の地位を確固たるものにしています。

10年目の今季,チームに欠かせない存在感を見せることでしょう。


以上を踏まえますと,割と成功と言っていい成果だと思います。

特に小田と宗はレギュラーになっており,パ・リーグ3連覇に欠かせない存在になっています。

2人を確保できただけでも,十分成功と言っていいと思うのです。


佐野と西野は,一時期活躍したにとどまっています。

このままで終わるのか,主力選手に返り咲くことがあるのでしょうか?

昨季までチームが3連覇中だけに,今季盛り返して4連覇に貢献するとなると,評価がまた変わると思います。

宗と小田と共に,成功といえる選手に入れるのでしょうか?


FAで移籍して,今季から新天地でプレーするドライチの福也。

実は福也について,私は微妙な評価だと思っているのです。

確かに2桁勝利を挙げているものの,それは昨季だけの話です。

一度も規定投球回に達したことがなく,先発の主力に定着したとは言い難いのです。

パ・リーグ3連覇に貢献したとは言えますけど,どちらかと言いますと昨季の成績で多くの球団から要請されたように思うのです。

むしろ新天地でこそ,福也が主力になれるかの勝負だと思っています。


何がともあれ,宗と小田を獲得できたのは成功と言っていいです。

特に宗は,7年目と比較的遅咲きでレギュラーになれたのです。

育成の成果が出ている一例だと思います。


次回は,読売ジャイアンツ編です。

それでは,またよろしくお願い致します。



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阪神タイガース,2014年ドラフトの成果

今回も,2014年ドラフトの成果を見てみます。

今回は,阪神タイガース編です。

それでは,最後までよろしくお願い致します。


阪神が,2014年ドラフトで指名した選手はこちらです。2014阪神

最初の1位指名は,大学ナンバーワン投手の有原航平でした。

抽選で外れると,今度は同じ大学投手の山﨑康晃を指名しました。

しかしこちらも外すと,結局外れ外れ1位で社会人投手の横山を指名したのです。

そこから即戦力に近い選手を指名し,高校選手は1人のみとなりました。

特に社会人投手を3人も指名したということで,徹底的に早い投手力強化を狙ったということが分かります。

あと,5人指名で育成選手は獲得しないという,少なめだったのです。

それだけ欲しいところを絞れていたということなのかもしれません。


3位江越は,1年目から56試合出場します。

5本塁打を放ち,確かな長打力を見せていきます。

2年目は72試合に増えて,7本塁打と長打力をさらに発揮します。

俊足と強肩もあり,将来のレギュラーは近いかと思いました。

しかし,打率が1割近くにとどまることが多いこともあり,なかなかレギュラーになれないのです。

試合数が全然増えず,ベンチでのレギュラーにもなれないままです。

ただ,盗塁は毎年決めており,強肩も外野の守備で発揮しています。

毎年一軍出場はしているものの,8年目は24試合出場に終わったのです。

そのオフ,トレードで日ハムに移籍となりました。

新天地で迎えた9年目の今季,自己最多となる100試合出場したのです。

5本塁打,9盗塁,12犠打を記録し,一芸に秀でているところを見せたのです。

盗塁と犠打は自己新記録になりました。

レギュラーの少ない日ハムで出番が増えたことで,江越の確かな素質を改めて証明できたと思います。

10年目の今季,江越は何を目指していくのでしょうか?


5位植田は,2年目にプロ初出場します。

3年目に13試合出場し,プロ初盗塁を決めます。

翌18年は108試合出場し,主に代走,ショートの守備要員で出場を増やします。

19盗塁と18犠打を決めて,ベンチのレギュラーに定着するのです。

19年は81試合出場し,プロ初ホームランを打ちます。

12盗塁を決めて,打率を.242まで上げます。

20年は9盗塁,21年は10盗塁と,代走の切り札になっていくのです。

ただ22年は57試合,9年目の今季は28試合と,出場数は減少傾向になります。

それでもそれぞれ4盗塁決めて,代走の切り札にはなっています。

俊足ぶりを発揮し続けているものの,成績は少々下降気味になっているところです。

10年目の今季,もうひと伸びするでしょうか?



以上を踏まえますと,植田が代走の切り札になっているだけでも「成功」かなと言えると思います。

今季も代走で相手に威圧感を与えていたのではないでしょうか?

ベンチでも主力は貴重な存在のはずです。

それが生まれただけでも,このドラフトは「よかった方」と言ってもいいと思うのです。


ただ,社会人投手を3人獲得して,短期での投手力強化を徹底的に狙いました。

そこに関しては,「成功」とは言えないかなと思います。

石崎は2017年のアジアチャンピオンシップに,侍ジャパンとして出場しました。

守屋も一時期はリリーフの主力として活躍しました。

活躍や兆しは見せていたものの,結局長続きはしませんでした。

そこは思い通りの成果が出なかったと思うのです。


もしも植田が主力になっていたら,恐らく「失敗」と言える要素が多いドラフトになっていたと思います。

せめて江越が阪神でもう少しベンチに定着していれば,もう少しだけ「成功」の要素が多くなっていたかなと思います。

ホンマに植田が代走の切り札になってよかったと,この成果を見てより思うのではないかと思うのです。



次回は,オリックス・バファローズ編です。

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