今回も,ノムさんと選手たちのことについて書いてみます。
前回は楽天監督時代の前半でしたので,今回は後半を書いていきます。
それでは,よろしくお願い致します。
ノムさん政権3年目となる2008年。
この年のスローガンは,「考えて野球せぃ!」です。
ノムさんが日ごろから重視する「無形の力」は,楽天の間で確実についています。
それでも,まだまだ徹底されてないところがあります。
改めてその重要性を伝えるべく,ノムさんの口調を入れたフレーズにしたのではないでしょうか?
ヤクルト監督時代は,「1年目で種を蒔き,2年目で水をやり,3年目で花が咲く」と表現しました。
その言葉の通り,3年目でチームは優勝できました。
この考え方に基づけば,勝負の3年目となります。
この年,ノムさんはある選手を呼んで,自尊心をくすぶることを試みました。
ノムさんが就任してから,全然エースとして機能してなかった岩隈久志です。
故障で満足に投げられない間に,前年ルーキーの田中将大がブレイクしました。
手術から明けたこの年,岩隈は勝負の時だと思っていたのです。
その中で,ノムさんに「今季はお前が鍵を握っている」と言われます。
岩隈本人は,それを意気に感じたと後に語っています。
かつてヤクルト監督時代,ノムさんは古田敦也に同じことをしたのです。
古田は発奮したのか,1997年はセリーグMVPになり,優勝・日本一の中心に立ったのです。
同じことを岩隈にも起こることを期待したのです。
この時のエピソードについては,「ノムさんとセリーグのレジェンドたち(監督時代) その2」をクリックしてご覧ください。
一方で,クローザーの福盛和男がMLBへ移籍しました。
小山伸一郎が前年にセーブを稼いだとはいえ,この移籍がどう響くのでしょうか?
こうした中で,2008年シーズンが始まったのです。
この年,新たな戦力が途中で加わってきたのです。
育成枠の中村真人と内村賢介が,シーズン途中で支配下登録されました。
中村は持ち味の好打と「悪球打ち」を発揮し,ノムさんに「安物の天才」と言われるようになりました。
内村は俊足を発揮し,この年9盗塁を見せました。
そして,他の選手も伸びてきたのです。
渡辺直人は32盗塁を決めて,1番打者に定着します。
高須洋介はノムさんに「必殺仕事人」と言われるような,チャンスに強い打撃を見せてきます。
ホセ・フェルナンデスは99打点を記録し,リック・ショートは打率.332で首位打者となりました。
7月からは前年まで日ハムに所属したフェルナンド・セギノールが加入しました。
途中加入で打率.324,13本塁打の記録を残したのです。
しかし,この年は岩隈の大復活なしで語ることはできません。
岩隈はフォークを磨くことで,投球のバリエーションを増やしたのです。
きっちり1年間ローテに定着したのです。
パリーグでは5年ぶりとなる20勝,23年ぶりの21勝まで記録を伸ばしたのです。
最多勝,最優秀防御率,最高勝率となり,沢村賞,パリーグMVPと,まさに大復活を遂げたのです。
一方でマー君は,シーズン途中で北京五輪へ行ったこともあり,なかなか勝ち星を稼げませんでした。
9勝7敗,防御率3.49という成績だったのです。
もう1人規定投球回に達したのが,朝井秀樹です。
防御率こそ4.38と前年より悪化したものの,9勝を挙げたのです。
他にもドミンゴ・グスマンや永井怜が100イニング以上投げました。
先発はそれなりに揃ったものの,リリーフが散々だったのです。
5セーブ以上は誰もおらず,2桁ホールドは有銘兼久と川岸強のみです。
こうした戦力の中で戦ったものの,最終的には5位という結果に終わりました。
岩隈の大復活,リックの首位打者など確かな手応えもありました。
それでも,チームが勝っていくにはまだまだ足りなかったのです。
3年目で花は咲きませんでした。
ヤクルトの時と違い,楽天はゼロ,いやマイナスからのスタートだったかなと思います。
それでは,3年では足りなかったのかもしれません。
幸運なことに,ノムさんは4年目を迎えることができたのです。
確かな手応えを球団も感じたのか,ここで編成で勝負してきたのです。
FAで中日から中村紀洋を獲得し,宮城出身の小坂誠をトレードで獲得したのです。
フェルが退団したものの,セギノールとリックは残留となりました。
こうした戦力変化の下で,2009年のスローガンを発表しました。
それは,これまでのノムさんが重視するものからは180度違うものだったのです。
『「氣」~越えろ!~』
日ごろからノムさんは,「プロとして気力や体力は持って当然」と考えています。
「プロなら知力を使って戦え」というのとは,全く違うことを掲げたのです。
この3年間で,気力が足りないと思ったのかもしれません。
「気力がプロとして足りないと自覚せぇ」と言いたかったのかもしれません。
09年シーズンは,開幕スタメンにノリや小坂といった新戦力が入ったオーダーから始まりました。
巧打のリックや鉄平や高須,長打のセギノールやノリや山崎と,打線の核は揃ってきました。
先発は岩隈,マー君,永井,朝井と揃ってきました。
足りないのは,やはりリリーフです。
クローザーは不在で,セットアッパーも固定されていませんでした。
外国人を獲得しても,全然機能しませんでした。
その中で,09年シーズンが始まったのです。
この年,楽天は創設5年目で飛躍を見せたのです。
4月は首位になったものの,7月は4位で終わりました。
ところが,ここから快進撃を見せるのです。
8月には3位に上がり,9月にはホークスと熾烈な2位争いとなったのです。
10月3日には,球団初となるCS進出が決定したのです。
最終的には,2位でシーズンを終えたのです。
優勝とはならなかったものの,4年目でとうとう花が咲いたのです。
山崎は自身の打撃の精度をさらに上げて,39本塁打,107打点を記録しました。
鉄平は巧打者として花開き,打率.327で首位打者となりました。
トレードで来た男が,タイトルホルダーにまでなったのです。
草野大輔は初めて規定打席に達し,打率.305という成績を残しました。
ノムさんの教えを理解する選手が増え,狙い球を捉えるシーンが増えてきたのです。
チームの絆も戦力も高まってきており,それがここまでの躍進を見せたのです。
投手でもマー君が15勝,岩隈と永井が13勝と三本柱ができたのです。
クローザーはシーズン途中で福盛が復帰し,10セーブを記録しました。
有銘も20ホールドを記録したのです,
投手陣は苦労したものの,それを打線とチームの絆と培った「無形の力」でカバーしたのです。
優勝は日ハムに取られたものの,ホークスに勝つまでになったのです。
さぁ,これで初のCS,それもファーストは地元仙台で行われます。
そう意気込んでいたところに,とんでもないニュースが入ったのです。
何と,ノムさんがこの年限りで監督退任という報道が出ました。
ノムさんは驚きを超えて唖然としました。
時間はかかったものの,ここまでチームは躍進しました。
70を超えても,まだ体も頭もきちんと動けます。
実績を残して,体も大丈夫にもかからわず解任です。
ノムさんは当時のオーナーに,CS次第で解任はなくなるのか聞きました。
どのような成績でも解任とのことです。
これで気落ちしたのは,想像に難くないと思います。
この報道を聞いた選手たちは,何を思ったのでしょうか?
この中でCSファーストが始まりました。
ここで2人のエースが見せるのです。
第1戦は岩隈,第2戦はマー君がいずれも完投して勝ったのです。
どちらの試合でも山崎はホームランを放ったのです。
仙台のファンが後押ししたからなのか,ノムさんの解任で選手たちが何か発奮したのか・・・
主力がいずれも奮起を見せたこともあり,楽天に追い風が来ていたのです。
ファンも,「もしかしたら・・・」と希望が湧いてきたのではないでしょうか?
CSファイナル,北海道で日ハムと勝負です。
第1戦,できればこちらの動画を見て頂きたいです(2020年5月10日アクセス)。
この試合のことを古田が解説する番組です。
この試合は,楽天が7回に3点取ってリードを広げていきます。
ところが8回に,リリーフ投手が悉く崩れて3点取られます。
すると9回に,楽天は2点を取って,リードを4点に広げます。
最後に福盛を出して,これで勝負ありかと思いました。
しかし,やはり野球はゲームセットまで分からないものです。
日ハムの嫌らしい野球で1点を取り,なおも満塁でターメル・スレッジを迎えます。
福盛が投じたストレートをスレッジはスタンドまで持っていき,逆転サヨナラ満塁ホームランとなったのです。
この試合,楽天に「2位になったものの,お前たちはまだまだだ」と告げているように今では思うのです。
これで楽天に来た追い風が終わったのでしょう。
第2戦は岩隈が完投したものの敗戦となりました。
後がない第3戦はマー君が完投して,何とか1勝しました。
第4戦,日ハムがリードするものの,楽天も8回に1点を取って2点差まで追い上げます。
その裏にピンチを迎えたところで,これまでになかったことが起こりました。
ピンチでスレッジというところで,岩隈がリリーフ登板したのです。
リリーフ陣が悉く不調の中で,岩隈が志願登板したのです。
ここを抑えて,最後の回に望みをつなぐという気持ちが出てきたのです。
「ここは自分がやるしかない」とエースとしての何かが出たと思うのです。
そして,スレッジに3ランホームランを打たれました。
ベンチに帰ってきた岩隈は,涙をこらえることができませんでした。
9回を抑えられ,楽天のCSが終わったのです。
この後ノムさんに,ONでもされなかったことが起こったのです。
楽天だけでなく,日ハムたちも加わった胴上げをされたのです。
日ハムには,かつての教え子である稲葉篤紀や吉井理人コーチがいます。
こうした人たちが音頭を取ったのでしょうか?
チームをここまで躍進させた名将を,楽天だけでなく相手も称えたのです。
まさに,野村克也という人物が球界に大きなものを残したと,誰もが認めた瞬間ではないかと思います。
「ONにもされなかったこと」として,ノムさんは著書にこのことを書いているのです。
翌年からノムさんは楽天の名誉監督となったのです。
ただし,3年契約という期限付きの名誉監督です。
「楽天イーグルスは好きだが,楽天球団は嫌い」
解任直後に書かれた著書では,このように表現されているのです。
球団側はどうであれ,野球人は誰もが認める。
それが最後の胴上げではないかと思うのです。
楽天での4年間で,ノムさんは多くの記録や多くの人を残したと思います。
岩隈は自己最高の成績を残し,マー君は大エースとなる土台をこの期間で作ったと思います。
嶋,聖澤など,後の2013年の初優勝・日本一に貢献した選手もいます。
直人,草野,鉄平,高須,山崎など,ノムさん政権時に花開いた選手も多くいます。
特に,山崎の復活は「傑作」といっていいものだったのではないでしょうか?
ノムさんの4年間なしで,2013年の栄光はなかったのは間違いないと思います。
楽天イーグルスの本当の土台を,最初に作ったのです。
楽天の背番号「19」には,もっと重みがあってもいいのではないでしょうか?
そんなことを感じるのです。
今年の2月11日にノムさんが亡くなった時,楽天時代の野球人も多くコメントを出しました。
岩隈,マー君,直人,鉄平,山崎なども,ノムさんに対して哀悼の気を示しています。
今季からヤクルトでプレーする嶋は,「自分も野村監督ような名監督になる」など涙ながらに誓いの言葉を出しました。
こうして,レジェンドたちとノムさんとの関わりが確かにあったというのを表しているのです。
以上,楽天監督時のノムさんについてでした。
次回は最終回で,監督を終えたその後について書いてみます。
開幕はいつか来ると信じて,読んで頂いた皆さんの何かの足しになればと願っています。
最後までご覧いただき,ありがとうございます。
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それでは,またのお越しをお待ちしております。
皆さんに,新たな発見が見つかりますように・・・ ・・・。
前回は楽天監督時代の前半でしたので,今回は後半を書いていきます。
それでは,よろしくお願い致します。
ノムさん政権3年目となる2008年。
この年のスローガンは,「考えて野球せぃ!」です。
ノムさんが日ごろから重視する「無形の力」は,楽天の間で確実についています。
それでも,まだまだ徹底されてないところがあります。
改めてその重要性を伝えるべく,ノムさんの口調を入れたフレーズにしたのではないでしょうか?
ヤクルト監督時代は,「1年目で種を蒔き,2年目で水をやり,3年目で花が咲く」と表現しました。
その言葉の通り,3年目でチームは優勝できました。
この考え方に基づけば,勝負の3年目となります。
この年,ノムさんはある選手を呼んで,自尊心をくすぶることを試みました。
ノムさんが就任してから,全然エースとして機能してなかった岩隈久志です。
故障で満足に投げられない間に,前年ルーキーの田中将大がブレイクしました。
手術から明けたこの年,岩隈は勝負の時だと思っていたのです。
その中で,ノムさんに「今季はお前が鍵を握っている」と言われます。
岩隈本人は,それを意気に感じたと後に語っています。
かつてヤクルト監督時代,ノムさんは古田敦也に同じことをしたのです。
古田は発奮したのか,1997年はセリーグMVPになり,優勝・日本一の中心に立ったのです。
同じことを岩隈にも起こることを期待したのです。
この時のエピソードについては,「ノムさんとセリーグのレジェンドたち(監督時代) その2」をクリックしてご覧ください。
一方で,クローザーの福盛和男がMLBへ移籍しました。
小山伸一郎が前年にセーブを稼いだとはいえ,この移籍がどう響くのでしょうか?
こうした中で,2008年シーズンが始まったのです。
この年,新たな戦力が途中で加わってきたのです。
育成枠の中村真人と内村賢介が,シーズン途中で支配下登録されました。
中村は持ち味の好打と「悪球打ち」を発揮し,ノムさんに「安物の天才」と言われるようになりました。
内村は俊足を発揮し,この年9盗塁を見せました。
そして,他の選手も伸びてきたのです。
渡辺直人は32盗塁を決めて,1番打者に定着します。
高須洋介はノムさんに「必殺仕事人」と言われるような,チャンスに強い打撃を見せてきます。
ホセ・フェルナンデスは99打点を記録し,リック・ショートは打率.332で首位打者となりました。
7月からは前年まで日ハムに所属したフェルナンド・セギノールが加入しました。
途中加入で打率.324,13本塁打の記録を残したのです。
しかし,この年は岩隈の大復活なしで語ることはできません。
岩隈はフォークを磨くことで,投球のバリエーションを増やしたのです。
きっちり1年間ローテに定着したのです。
パリーグでは5年ぶりとなる20勝,23年ぶりの21勝まで記録を伸ばしたのです。
最多勝,最優秀防御率,最高勝率となり,沢村賞,パリーグMVPと,まさに大復活を遂げたのです。
一方でマー君は,シーズン途中で北京五輪へ行ったこともあり,なかなか勝ち星を稼げませんでした。
9勝7敗,防御率3.49という成績だったのです。
もう1人規定投球回に達したのが,朝井秀樹です。
防御率こそ4.38と前年より悪化したものの,9勝を挙げたのです。
他にもドミンゴ・グスマンや永井怜が100イニング以上投げました。
先発はそれなりに揃ったものの,リリーフが散々だったのです。
5セーブ以上は誰もおらず,2桁ホールドは有銘兼久と川岸強のみです。
こうした戦力の中で戦ったものの,最終的には5位という結果に終わりました。
岩隈の大復活,リックの首位打者など確かな手応えもありました。
それでも,チームが勝っていくにはまだまだ足りなかったのです。
3年目で花は咲きませんでした。
ヤクルトの時と違い,楽天はゼロ,いやマイナスからのスタートだったかなと思います。
それでは,3年では足りなかったのかもしれません。
幸運なことに,ノムさんは4年目を迎えることができたのです。
確かな手応えを球団も感じたのか,ここで編成で勝負してきたのです。
FAで中日から中村紀洋を獲得し,宮城出身の小坂誠をトレードで獲得したのです。
フェルが退団したものの,セギノールとリックは残留となりました。
こうした戦力変化の下で,2009年のスローガンを発表しました。
それは,これまでのノムさんが重視するものからは180度違うものだったのです。
『「氣」~越えろ!~』
日ごろからノムさんは,「プロとして気力や体力は持って当然」と考えています。
「プロなら知力を使って戦え」というのとは,全く違うことを掲げたのです。
この3年間で,気力が足りないと思ったのかもしれません。
「気力がプロとして足りないと自覚せぇ」と言いたかったのかもしれません。
09年シーズンは,開幕スタメンにノリや小坂といった新戦力が入ったオーダーから始まりました。
巧打のリックや鉄平や高須,長打のセギノールやノリや山崎と,打線の核は揃ってきました。
先発は岩隈,マー君,永井,朝井と揃ってきました。
足りないのは,やはりリリーフです。
クローザーは不在で,セットアッパーも固定されていませんでした。
外国人を獲得しても,全然機能しませんでした。
その中で,09年シーズンが始まったのです。
この年,楽天は創設5年目で飛躍を見せたのです。
4月は首位になったものの,7月は4位で終わりました。
ところが,ここから快進撃を見せるのです。
8月には3位に上がり,9月にはホークスと熾烈な2位争いとなったのです。
10月3日には,球団初となるCS進出が決定したのです。
最終的には,2位でシーズンを終えたのです。
優勝とはならなかったものの,4年目でとうとう花が咲いたのです。
山崎は自身の打撃の精度をさらに上げて,39本塁打,107打点を記録しました。
鉄平は巧打者として花開き,打率.327で首位打者となりました。
トレードで来た男が,タイトルホルダーにまでなったのです。
草野大輔は初めて規定打席に達し,打率.305という成績を残しました。
ノムさんの教えを理解する選手が増え,狙い球を捉えるシーンが増えてきたのです。
チームの絆も戦力も高まってきており,それがここまでの躍進を見せたのです。
投手でもマー君が15勝,岩隈と永井が13勝と三本柱ができたのです。
クローザーはシーズン途中で福盛が復帰し,10セーブを記録しました。
有銘も20ホールドを記録したのです,
投手陣は苦労したものの,それを打線とチームの絆と培った「無形の力」でカバーしたのです。
優勝は日ハムに取られたものの,ホークスに勝つまでになったのです。
さぁ,これで初のCS,それもファーストは地元仙台で行われます。
そう意気込んでいたところに,とんでもないニュースが入ったのです。
何と,ノムさんがこの年限りで監督退任という報道が出ました。
ノムさんは驚きを超えて唖然としました。
時間はかかったものの,ここまでチームは躍進しました。
70を超えても,まだ体も頭もきちんと動けます。
実績を残して,体も大丈夫にもかからわず解任です。
ノムさんは当時のオーナーに,CS次第で解任はなくなるのか聞きました。
どのような成績でも解任とのことです。
これで気落ちしたのは,想像に難くないと思います。
この報道を聞いた選手たちは,何を思ったのでしょうか?
この中でCSファーストが始まりました。
ここで2人のエースが見せるのです。
第1戦は岩隈,第2戦はマー君がいずれも完投して勝ったのです。
どちらの試合でも山崎はホームランを放ったのです。
仙台のファンが後押ししたからなのか,ノムさんの解任で選手たちが何か発奮したのか・・・
主力がいずれも奮起を見せたこともあり,楽天に追い風が来ていたのです。
ファンも,「もしかしたら・・・」と希望が湧いてきたのではないでしょうか?
CSファイナル,北海道で日ハムと勝負です。
第1戦,できればこちらの動画を見て頂きたいです(2020年5月10日アクセス)。
この試合のことを古田が解説する番組です。
この試合は,楽天が7回に3点取ってリードを広げていきます。
ところが8回に,リリーフ投手が悉く崩れて3点取られます。
すると9回に,楽天は2点を取って,リードを4点に広げます。
最後に福盛を出して,これで勝負ありかと思いました。
しかし,やはり野球はゲームセットまで分からないものです。
日ハムの嫌らしい野球で1点を取り,なおも満塁でターメル・スレッジを迎えます。
福盛が投じたストレートをスレッジはスタンドまで持っていき,逆転サヨナラ満塁ホームランとなったのです。
この試合,楽天に「2位になったものの,お前たちはまだまだだ」と告げているように今では思うのです。
これで楽天に来た追い風が終わったのでしょう。
第2戦は岩隈が完投したものの敗戦となりました。
後がない第3戦はマー君が完投して,何とか1勝しました。
第4戦,日ハムがリードするものの,楽天も8回に1点を取って2点差まで追い上げます。
その裏にピンチを迎えたところで,これまでになかったことが起こりました。
ピンチでスレッジというところで,岩隈がリリーフ登板したのです。
リリーフ陣が悉く不調の中で,岩隈が志願登板したのです。
ここを抑えて,最後の回に望みをつなぐという気持ちが出てきたのです。
「ここは自分がやるしかない」とエースとしての何かが出たと思うのです。
そして,スレッジに3ランホームランを打たれました。
ベンチに帰ってきた岩隈は,涙をこらえることができませんでした。
9回を抑えられ,楽天のCSが終わったのです。
この後ノムさんに,ONでもされなかったことが起こったのです。
楽天だけでなく,日ハムたちも加わった胴上げをされたのです。
日ハムには,かつての教え子である稲葉篤紀や吉井理人コーチがいます。
こうした人たちが音頭を取ったのでしょうか?
チームをここまで躍進させた名将を,楽天だけでなく相手も称えたのです。
まさに,野村克也という人物が球界に大きなものを残したと,誰もが認めた瞬間ではないかと思います。
「ONにもされなかったこと」として,ノムさんは著書にこのことを書いているのです。
翌年からノムさんは楽天の名誉監督となったのです。
ただし,3年契約という期限付きの名誉監督です。
「楽天イーグルスは好きだが,楽天球団は嫌い」
解任直後に書かれた著書では,このように表現されているのです。
球団側はどうであれ,野球人は誰もが認める。
それが最後の胴上げではないかと思うのです。
楽天での4年間で,ノムさんは多くの記録や多くの人を残したと思います。
岩隈は自己最高の成績を残し,マー君は大エースとなる土台をこの期間で作ったと思います。
嶋,聖澤など,後の2013年の初優勝・日本一に貢献した選手もいます。
直人,草野,鉄平,高須,山崎など,ノムさん政権時に花開いた選手も多くいます。
特に,山崎の復活は「傑作」といっていいものだったのではないでしょうか?
ノムさんの4年間なしで,2013年の栄光はなかったのは間違いないと思います。
楽天イーグルスの本当の土台を,最初に作ったのです。
楽天の背番号「19」には,もっと重みがあってもいいのではないでしょうか?
そんなことを感じるのです。
今年の2月11日にノムさんが亡くなった時,楽天時代の野球人も多くコメントを出しました。
岩隈,マー君,直人,鉄平,山崎なども,ノムさんに対して哀悼の気を示しています。
今季からヤクルトでプレーする嶋は,「自分も野村監督ような名監督になる」など涙ながらに誓いの言葉を出しました。
こうして,レジェンドたちとノムさんとの関わりが確かにあったというのを表しているのです。
以上,楽天監督時のノムさんについてでした。
次回は最終回で,監督を終えたその後について書いてみます。
開幕はいつか来ると信じて,読んで頂いた皆さんの何かの足しになればと願っています。
最後までご覧いただき,ありがとうございます。
ご意見ございましたら,是非当ブログでもツイッターでもコメントお待ちしております。
ツイッターのフォローもよろしくお願い致します。
それでは,またのお越しをお待ちしております。
皆さんに,新たな発見が見つかりますように・・・ ・・・。
求究道
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